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【平成中日年代記】星野竜と落合竜、2つのスタイルで

4/18(木) 11:04配信

週刊ベースボールONLINE

平成年代はナゴヤ球場、星野仙一監督時代から始まり、1997年にはナゴヤドームに移り、99年に優勝を飾る。2004年に落合博満監督が就任。堅守を武器に黄金時代を築き上げた。しかし、その後は世代交代がスムーズにはいかず、現在は苦戦が続いている。

大型補強が奏功し1999年V

 平成元年、1989年は前年優勝した中日が連覇に挑んだシーズンだったが、故障者続出もあって3位。巨人から移籍の西本聖は20勝を挙げ、最多勝。落合博満は本塁打王、打点王に輝いている。90年はドラフト1位の与田剛が150キロ台の剛速球で最優秀救援投手になるも、投打がかみ合わず、チームは星野仙一監督就任後、初のBクラス、4位に終わった。

 91年は夏場まで首位を走るも9月に急失速し2位がやっと。星野監督が退任し、往年の名二塁手・高木守道が指揮官となった92年は最下位に終わった。続く93年は左腕の山本昌広(のち山本昌)、今中慎二が最多勝を分け合う好調さでチームを引っ張り、2位。続く94年は、落合が巨人へ去ったが、代わって一塁に入った大豊泰昭が本塁打王、打点王、パウエルが首位打者で穴を埋めた。9月の9連勝で急浮上し、10月8日の最終戦、巨人との直接対決に勝てば優勝というところまでこぎつけたが、敗れた。95年は投手陣崩壊で低迷。5位に終わり、5年ぶりの星野監督復帰が発表された。

 96年は韓国の至宝・宣銅烈を獲得。宣は故障で振るわなかったものの、重量打線と若手投手の台頭もあって2位。ただ、翌97年は誤算だった。ナゴヤドーム元年だが、広くなった球場でのびのびと投げられるはずだった投手陣は、今中、野口茂樹の故障離脱も響き、崩壊。打線も12球団ワーストの打率.243で最下位に終わった。

 ここで星野監督は機動力、ディフェンス重視に舵を切る。大豊、矢野輝弘を放出し、阪神から久慈照嘉、関川浩一を獲得。さらに韓国のイチローとも言われた李鍾範を迎えた。投手陣も新人・川上憲伸が先発に定着し、優勝を射程圏内にとらえたが、98年は2位に終わった。

 99年は開幕から11連勝で首位に立つ。6月に失速し、一時は阪神に首位を譲るも、7月になると再び快進撃をスタート。落合英二、新人・岩瀬仁紀、サムソンから宣銅烈へつなぐ勝利の方程式が光った。打線では“元気印”の関川がけん引役となり、優勝したが、ダイエーとの日本シリーズは1勝4敗と涙をのんだ。

 続く2000年は2位。優勝した巨人に9勝18敗もあって、オフにヤクルトで巨人キラーとして名をはせた川崎憲次郎を獲得したが、故障で1試合も登板できず、01年は5位と低迷し、星野監督は退任した。

 山田久志監督が就任した02年は3位。FAで谷繁元信を獲得も投手陣に故障者が出て伸び悩み、シーズン中にキューバからリナレスを獲得も、起爆剤にならなかった。翌03年は川上の右肩痛離脱も響き、星野監督が指揮する阪神に大きく引き離される。9月に入り、山田監督は解任。皮肉にもその後、14勝5敗1分けと強さを見せ、2位に入った。

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最終更新:4/18(木) 12:16
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