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芥川を下敷きにした恐るべき翻訳小説『Xと云う患者 龍之介幻想』

4/18(木) 11:00配信

Book Bang

 序と十二篇の短篇は、芥川龍之介を主人公に、芥川の短篇を下敷きにした幻想譚だ。パロディではない。「糸の後、糸の前」という篇は、八割方が芥川の「蜘蛛の糸」そのままの文章である。美術でいえば、アプロプリエーション(流用)。本書がオマージュを捧げる一人と思しきボルヘスの「ピエール・メナール」の作法を思う人もいるだろうし、古典にゾンビものをマッシュアップした『高慢と偏見とゾンビ』を思う人もいるだろう。

 ピースの創作言語は英語だ。だから芥川の英訳を作中にはめこんでいく。これを邦訳する際、黒原敏行はその英訳を日本語に「訳し戻す」のではなく、芥川作品の該当箇所を移植する方法を選んだ。とはいえ、芥川の英訳にピースも少しずつ筆を加えているようで、そっくり写せば済むものではなく、制御しがたい相互作用が生まれる。原作と往復翻訳と翻案の面妖な相乗効果の一例を挙げる。「Quack, quack! 出て行け! この卑劣漢めが! 嘘つきめが! 〈中略〉Quack, quack!」

「河童」の一節が使われているが、「quack」という河童語は、芥川の原文だとこの箇所には入っていない。英訳者が入れたのか、本書の作者が入れたのか、(ありそうにないが)邦訳者が入れたのか。何が何の翻訳で引用なのかわからないが、quackが入ったことで、何重にも間テクスト性を帯びたテクストは、芥川が原書で愛読していたジョイスの『ユリシーズ』風の妖しい変容を遂げるのである。

「二度語られた話(ア・トワイス・トールド・テール)」には、ドッペルゲンゲルや反復のモチーフが顔を出し、ポオの「群集の人」「早まった埋葬」の糸が編みこまれる。「基督の幽霊たち」には「歯車」が現れ、関東大震災と現代日本の震災が重なる。本篇の最後に、「辛抱強い十字架(ペイシェント・クロス)」という語句が出てくる。patientとは受難者キリストをも、Xとは十字架をも表していたのだろう。

 恐ろしい翻訳小説の登場だ! 

[レビュアー]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

新潮社 週刊新潮 2019年4月18日号 掲載

新潮社

最終更新:4/18(木) 11:00
Book Bang

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