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小野和義 “10.19”初戦に先発してVへの夢をつないだ猛牛の左腕/プロ野球1980年代の名選手

4/19(金) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

プロ野球選手にとって元日は……?

 左腕の石本貴昭が救援のマウンドでブレークした1985年の近鉄。その翌86年、先発のマウンドを中心に、よく打たれながらも粘り強く勝ち星を稼いだ左腕が小野和義だった。入団は石本より遅いが、一軍定着は早い。東京の創価高を3年の夏にエース、そして四番打者として初の甲子園へと導き、初戦で敗退したものの、最速140キロの速球で“関東No.1左腕”との評価は変わらず、秋のドラフトでは南海、近鉄、日本ハムのパ・リーグ3球団が競合。交渉権を獲得した近鉄へ84年に入団した。

 高卒ルーキーながら1年目から24試合に登板。プロ初勝利、初セーブもマークした。翌85年には39試合の登板で3勝1セーブ。ダイナミックながらオーソドックスでクセがなく、バランスのいい投球フォームから、持ち前の速球を主体としたピッチングだったが、投球の幅が広がったのは、その秋のことだった。チェンジアップを新たに習得したことで、そのチェンジアップとスローカーブとのコンビネーションが速球を際立たせ、ブレークへとつながっていく。

「野球選手にとって1月1日は休みじゃない。やらなければならないことが山ほどある」

 と、元日から藤井寺球場に通い詰めた。そして迎えた86年、開幕から近鉄の2連敗で迎えた第3戦(藤井寺)では1点のリードを守り抜いて2失点の完投勝利。その後は必ずしも安定した投球だったわけではないが、以降3連勝、6月5日の阪急戦(日生)からは5連勝、7月3日の日本ハム戦(後楽園)では救援のマウンドながら勝利投手となり、両リーグ一番乗りで10勝に到達した。

 ゲンをかついでヒゲをたくわえ、11勝目となった7月12日の西武戦(藤井寺)ではアブに刺されて降板するアクシデントにも見舞われたが、先にブレークした石本や、サイドスローの佐々木修らの存在も刺激になり、「お前が次(の登板)なら連勝はストップか」などと憎まれ口をたたき合いながらも、前半戦だけでプロ初完封を含む12勝。初めて球宴にも出場した。

 だが、後半戦に入ると疲労もあって急失速。最終的にはリーグ最多の自責点、被本塁打を喫した。防御率5.02はリーグ最下位。それでも自己最多の14勝で、先発ローテーションの一角を不動のものとした。

 翌87年には待望の長男が誕生。その3日後の球宴第2戦(横浜)では3イニングを無失点、3奪三振の好投で優秀選手賞に。ペナントレースでは2年連続でリーグ最多の被本塁打も、11勝を挙げている。

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最終更新:4/19(金) 17:03
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