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ピルロにアルベルティーニ、そして…イタリアが生んだ世界最高のレジスタ5人。ピッチを彩る演出家たち

4/19(金) 7:00配信

フットボールチャンネル

アンドレア・ピルロ

アンドレア・ピルロ
生年月日:1979年5月19日(39歳)
イタリア代表成績:116試合13得点23アシスト

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【過去の所属クラブ】
ブレシア(59試合/6得点0アシスト)
レッジーナ(30試合/6得点0アシスト)
インテル(40試合/0得点1アシスト)
ミラン(401試合/41得点46アシスト)
ユベントス(164試合/19得点38アシスト)
ニューヨーク・シティ(62試合/1得点9アシスト)

「イタリアが生んだレジスタ」と目にし、真っ先にこの男の名前が頭に浮かんだ人も多いのではないだろうか。イタリア代表として2006年ドイツワールドカップ制覇、ミランやユベントスで数多くのタイトルを獲得してきたアンドレア・ピルロはまさしくイタリアが生んだ世界最高のレジスタと言えるだろう。

 1995年に地元ブレシアでプロデビューを果たしたピルロは、加入1年目からコンスタントに出場機会を得て、着実に力をつけていった。その活躍に目を留めたのが、名門・インテルだ。ピルロ自身も同クラブに憧れを抱いていたことから、1998年に移籍が実現。順調なプロキャリアを歩んだかに思えた。

 しかし、インテルの選手層の厚さに苦しみ、なかなか出場機会を得られない時期が続く。その後、ピルロはレッジーナや古巣のブレシアといったクラブにレンタルで移籍するようになり、最終的にインテルでは結果を残すことができなかった。

 当時ピルロはトップ下の位置でプレーしていたが、レンタル移籍という形で戻ってきたブレシアではボランチでのプレーも経験。チームを率いていたカルロ・マッツォーネ監督によってコンバートされたのだ。これが、世界最高のレジスタを生む大きなキッカケになった。

 2001年、ピルロはインテルのライバルであるミランへ移籍を果たす。当初は出場機会がなかったが、2001/02シーズン途中に就任したカルロ・アンチェロッティ監督の下で再びボランチとしてプレーするようになり、才能を開花させた。以降、ピルロはチームに不可欠な存在となり続け、多彩なキックと芸術的なパスを武器にミランをチャンピオンズリーグ制覇やクラブワールドカップ制覇などに導いている。最終的にミランでは公式戦401試合に出場するなど、クラブの“顔”となった。

 その後、フリーでの加入となったユベントスでもミラン時代と変わらぬ巧みなプレーを披露。セリエA優勝やCL準優勝などに大きく貢献した。

 2017年11月、ピルロは惜しまれつつ現役引退を発表。だが、同選手の芸術的なプレーは今でも人々の記憶に残り続けている。

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最終更新:4/19(金) 7:00
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