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【平成ロッテ年代記】川崎から千葉への移転、ボビー・マジックと下克上

4/20(土) 11:04配信

週刊ベースボールONLINE

スタートは閑古鳥の鳴く川崎球場。1992年から千葉に移転し、「ロッテ・オリオンズ」は「千葉ロッテマリーンズ」に生まれ変わった。チームを変えたのはバレンタイン監督。2期目の2005年には千葉での初優勝を飾った。10年、3位から勝ち上がった下克上優勝の記憶も鮮烈だ。

一瞬の輝きを放ったバレンタイン旋風

 平成の始まりは神奈川県川崎市がフランチャイズの時代。チーム名は「ロッテ・オリオンズ」だった。本拠地・川崎球場は常にガラガラ。ロッテは不人気球団の代名詞のように言われ、しかも弱かった。

 1989年は39歳で最優秀防御率に輝いた村田兆治が通算200勝も達成して話題になるも、2年連続最下位。90年は74年に日本一となった金田正一監督が12年ぶりに復帰したが、5位。村田は10勝を挙げながら引退した。大連敗が相次いだ91年は首位・西武に33.5ゲーム差でダントツ最下位。同年限りで本拠地を川崎から千葉マリンに移し、金田監督もチームを去った。

 八木沢荘六監督の下、ユニフォームにピンクを取り入れた「千葉ロッテマリーンズ」元年の92年は、やはり最下位。ただ、移籍1年目となって観客動員は前年比約30万人増と好調だった。5位に終わった93年に輝いたのは、伊良部秀輝。当時の日本最速158キロの快速球で球界を席巻した。打者では南渕時高が14打席連続出塁のプロ野球記録をつくっている。翌94年、伊良部は15勝で最多勝を手にするも、チームは低迷。八木沢監督は途中休養し、中西太ヘッドが指揮を執った。

 95年がチームのターニングポイントとなる。ヤクルト、西武監督として日本一にも輝いた球界きっての理論家・廣岡達朗氏がGMとなり、メジャーで8シーズン指揮を執ったバレンタインを監督に迎えた。6月には首位オリックスに13ゲーム差の最下位に沈んでいたが、7、8、9月と3カ月連続で勝ち越し、最終的には首位オリックスに12ゲーム差ながら2位となった。三番・堀幸一、四番・フランコ、五番・初芝清のクリーンアップが打率3割超え。投手陣では伊良部、小宮山悟、ヒルマンの先発三本柱がいずれも2ケタ勝利と安定していた。

 オフにバレンタイン監督が廣岡GMとの確執もあって1年で退任。江尻亮監督となった96年は、投手陣で伊良部、ヒルマンが防御率1、2位を独占するも打線の不振もあって5位に。廣岡GMは退任、伊良部は大もめの末、メジャーに移籍。近藤昭仁監督となった97年は5年ぶり最下位。再び暗黒時代に突入する。

 98年は6月13日から悪夢の連敗が始まった。7月5日にはプロ野球記録の16連敗に並ぶ。7月7日のオリックス戦(GS神戸)は、先発・黒木知宏の好投で3対1とリードしたまま9回裏二死まで行くも、プリアムに同点2ランを浴び、同点とされ、黒木は降板。延長12回、オリックス・広永益隆に代打満塁サヨナラ本塁打を浴び、17連敗、翌8日も負けて18連敗となった。チームは同年最下位となったが、実はチーム打率がリーグ1位、防御率は2位。投打の歯車がかみ合わぬまま閉幕した。

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最終更新:5/2(木) 19:24
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