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【河毛俊作・操上和美連載】欲望の断片──「今、必要なのは、こっくりした優しく温かい色」第52回

4/20(土) 9:11配信

GQ JAPAN

山陰の石州瓦の赤に、根津神社の前の美味しい小さなパン屋のコッペパンの小麦色、花の色、昔のクルマの燻んだ色、ファッションの黒……色彩が表す欲望の断片を綴る演出家の文に、写真家がヴィジュアルで応える、おとなのためのWエッセイ。

【河毛俊作と繰上和美のコラムを読む!】

2月の初旬にロケハンで山陰を旅した。島根県の奥出雲や石見を訪れたのは初めてで、その“逝きし世の面影”を今も宿している、日本の原風景ともいえる山里の景色は何か胸に迫るものがあった。山間に点在する小さな集落に、風雪に耐えてきたであろう、どっしりとした民家が肩を寄せ合うように立ち並ぶ。その家々の屋根は全て、石州瓦と呼ばれる赤褐色の瓦で統一されている。冬枯れのモノトーンの世界の中で、乳白色から薄墨を流したような灰色までのグラデーションを見せて重なり合う雲の切れ目から、僅かに差し込む陽の光を受けて鈍く輝く“赤”が本当に美しい。

赤といっても、クラシックな万年筆によく見られる、柿色に近い。瓦の色が統一されているだけで景観というものはこんなにも美しくなるものかと感動すら覚えた。それは、ヨーロッパの古い街並みが見せる枯れた風格のある佇まいにどこか似ている。あの地方では、神々の御座す天空と人間が暮らす地を“赤”という色が繋いでいる……そんな風に感じた。

東京に戻ると、色彩と光が過剰で却って気が滅入った。強すぎる色は人を疲れさせる。色というのは不思議なものだ。人間は色で様々なことを表してきた。欲望を表す色といったら、さしずめ燃えるような赤であろうか。

話は少し変わるが、根津神社の前にとても美味しいパン屋がある。小さな店で週に4日しか営業していないが、バゲット、バタールからブドウパンまで何でも美味しい。美味しい食べ物というのは美しい色をしている。ここのパンも見た目が美味しそうな柔らかい小麦色で、質感が色に表れている。我々の世代には懐かしいコッペパンもあり、それに玉子のペーストと生ハムを挟んだサンドイッチを作ってくれる。これも、小麦色のコッペパンに挟まれた優しい黄色と白の混じり合った玉子ペーストと生ハムのピンクが食欲をそそる。

この店のもうひとつの楽しみは、小さな花屋が併設されていることだ。美味しいパンと美しい花、何と幸せを感じる組み合わせだろうか。スペースは狭いので、厳選された上質な花だけが並べられている。花屋の若い主人のセンスが素晴らしい。そこには私の中で失われた懐かしい色たちが並んでいる。パンを買うついでに1500円位で小さな花束を作ってもらう。紫、薄紫、淡いブルー、掠れたような朱色やオイスターホワイトから変化していくピンク……そんな色たちが緑色の葉の中で息づく。決してゴージャスという感じではない。寧ろ、野の花を摘んだといった趣なのだが、全体の色彩がプラダの編み込みのニットのようなスモーキーなトーンでとても美しい。この歳になって花を飾ることの楽しみも知ることになった。

私の祖母は園芸が唯一の趣味で、狭い庭を一生懸命に手入れして薔薇を育てていた。たまに外出する先は青山の第一園芸で、重い肥料の袋や苗の束を抱えて坂道を上って来る姿をはっきりと覚えている。あまり喜怒哀楽を顔に出す人ではなかったが、5月に薔薇が花開き、庭にその色と香りが満ちると本当に嬉しそうだった。その血が少しは私にも流れているのだなぁと最近思う。

小説家の永井荷風は、草木を愛し、家を移る度にクチナシの一株を携え運んで庭に植えた。それは単に花を愛でるためだけではなく、その実を煮て原稿用紙を摺る顔料にするという楽しみがあった。荷風は「寒夜孤燈の下に凍ゆる手先を焙りながら破れた土鍋にこれを煮る時のいいがたき情趣は、その汁を絞って摺った原稿罫紙に筆を執る時の心に比して遥に清絶であろう」と『十日の菊』というエッセイに綴っている。何と風雅なことであろう。本当の贅沢とはこういうことだ。誰もが無表情にモニターに向かってキーボードを叩く今では考えられない。私は今でも原稿用紙に万年筆の手書き原稿だが、原稿用紙は伊東屋で買って来る……。

昔の色はやはり美しかった。私が最近つくづく思うのはクルマの色。昔は大衆車でももっと色のバリエーションが豊富だった。ソリッドなグリーン系や茶系など少し燻ったような微妙な色のクルマが沢山走っていて、今のように白かメタリックばかりではなかった。その結果、クルマから“愛らしさ”というものが失われてしまったと思っている。そう、今、街にもクルマにも必要なのは、力を誇示する強い色ではなく、こっくりした優しく温かい色だと思う。

ファッションに目を向けてみても、デザイン的にグラフィカルなプリントやブランドロゴが強調され、目に痛いような色が増えている。経年変化を許さない色たちだ。瞬間、強く輝き、瞬間的に死を迎える……そんな色彩が幅をきかせている。

着る物の色でいえば、最近、黒に惹かれる。モード界を黒が支配していた時代、私は黒をあまり着なかった。妙な言い方かもしれないが、黒は自分には派手すぎると感じていたのだ。今でも黒というのは一番華やかな色だと思う。だから、選ぶのは墨黒に近いものだ。生地も光沢のあるものではなく、ザックリとした質感のものだ。この冬はグレッグ・ローレンの洗いをかけたカシミア地で掠れた黒のPコートを長くしたようなコートが一番気に入って、そればかり着ていた。

最近ポリティカル・コレクトネスの観点から黒という言葉を悪い意味に使うのをやめようという動きがあることを知った。確かに黒という色から人は闇を連想する。しかし、無機質な電子機器に囲まれ情報化が極端に進んだ管理社会を生きる私たちは、もしかしたら、黒ではなく“白い闇”に包まれて目が眩んでいるのではないだろうか……。今朝、薄っすらと庭に積もった雪を見ながらそんなことを思った。そして、少し寒かったけど、焼きたてのパンと小さな花束を買うために家を出た。懐かしい色たちに出会うために。

かわけ・しゅんさく
演出家/映画監督
最新演出作「砂の器」(フジテレビ)が3月28日(木)に放映した。

くりがみ・かずみ
写真家
北海道生まれ。1965年よりフリーで活動。現在も一線で活躍し、受賞歴多数。

文・河毛俊作 写真・操上和美

最終更新:4/20(土) 9:11
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