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『シャザム!』なぜ心震わせる作品に? 人間ドラマによって生み出される真のヒーロー像

4/21(日) 10:02配信

リアルサウンド

 まさにヒーロー映画全盛といえる昨今、とんでもない悪ふざけをするヒーローが登場した。筋肉ムキムキの大人の男でスーパーパワーの持ち主……その中身はイタズラ好きのティーンエイジャー。彼は圧倒的な力を駆使しながら幼稚な悪ふざけを繰り返していく。だが、これがものすごく楽しいのだ。

【写真】『シャザム!』撮影時の様子

 1940年に初めて出版され、70年代に実写ドラマ化やアニメ化も果たしている、歴史や知名度を持つヒーロー作品を実写化した本作『シャザム!』は、ヒーロー映画として、正義の戦いや人間ドラマもしっかりと描かれるが、同時にほとんどの場面でギャグが豊富に繰り出される、コメディ作品としての要素が強い。

 とはいえ、そんなギャグ満載の『シャザム!』は、数あるヒーロー映画のなかでイロモノとして扱われるべき作品なのかというと、そんなことはなかった。むしろ、数多く作られ続けるなかで細分化されつつあるヒーロー映画を本道へと引き戻すような、本格的な魅力のある映画だったのである。ここでは、そんな本作が、異色と思える内容にも関わらず、なぜヒーロー映画の本道へと立ち戻れたのか、そして心震わせる作品となった理由を解説していきたい。(本記事にはネタバレが含まれています)

■もともとの名は「キャプテン・マーベル」

 先頃、マーベル・コミック原作の実写映画『キャプテン・マーベル』が公開されたが、じつはそれ以前に、「キャプテン・マーベル」という名のヒーローが存在していた。それが本作『シャザム!』のもともとの原作となった、フォーセットコミックスの『キャプテン・マーベル』である。つまり、本作のヒーローは、もともとキャプテン・マーベルという名前なのである。

 だがコミック『キャプテン・マーベル』は、DCコミックスから「スーパーマンの盗作だ」として訴えられ、その権利はやがてDCに買い取られることになる。その際に、ライバルのマーベル・コミック社と名称が重なることを避け、変身するときのかけ声「シャザム」をタイトルにしたという経緯があるのだ。本作では、それすらもネタとされていて、けっして「キャプテン・マーベル」とは呼ばずに、いろんな名前でヒーローのことを呼ぶ場面が何度もある。

 以前、日本でもアメリカのTVアニメ版『シャザム』が放送されていた。その頃、ヒーローのキャプテン・マーベルは「シャザム!」と叫ぶとキャプテン・マーベルに変身し、その弟分のキャプテン・マーベル・ジュニアは「キャプテン・マーベル!」と叫ぶとキャプテン・マーベル・ジュニアに変身するという、ひどくややこしい設定だった。それを考えても、混乱を呼ぶ「キャプテン・マーベル 」という呼称が消えたことは、あらゆる意味で妥当なところだろう。

■ホラー監督によるヒーロー映画の面白さ

 超マッチョな肉体に、全身タイツのようなぴったりとしたコスチュームを着て、長いマントを羽織る、とくにスーパーマンのようなタイプのヒーローの姿は、もう数十年も前から、一般的な人々の間で「ダサい」と思われてきたところがある。コミックや実写化作品では、コスチュームのデザインを日々新しいものにし続けることによって、それをかっこいいものとして認識できるよう努力を続けてきた。しかし本作のヒーローは、そのボディービルダーのようなムキムキの肉体とともに、古いコミックから抜け出てきたようなイメージをそのままさらし、その姿で地下鉄に乗車して一般人から大笑いされるシーンがある。

 コミックのなかでも、このヒーローはコテコテといえる印象を引きずるキャラクターであり、ときにシリアスになりながらも比較的ユーモアのある作風が特徴だった。アニメ版でもかなりギャグが多く、おおらかな作品というイメージが強い。実写映画として、そんな題材を活かすのなら、ギャグに振り切ってしてしまえばいい。おそらくはこんな発想で、本作は悪ふざけをしながらヒーローの活躍を描いていくことで、現代の作品として成立しているといえる。

 本作を監督したのは、近年、ジェームズ・ワン監督(『ソウ』、『死霊館』、『アクアマン』)に見出され、彼のもとで『ライト/オフ』(2016年)、『アナベル 死霊人形の誕生』(2017年)というホラー映画を撮った、スウェーデン出身のデヴィッド・F・サンドバーグである。それ以前、サンドバーグは自身の妻を主演させ、YouTubeに優れたホラー動画をアップし注目を集めていた。

 ホラー作家が本作のような映画をまかされることは意外に感じるが、彼は“ponysmasher”「ポニー(かわいい馬)をぶん殴る者」というユーザー名で、過激なFlashアニメも発表するなど、じつはもともとユーモアのセンスに長けた映像作家だった。日本でも、水木しげるや楳図かずおのような、ホラーとユーモアが重なる作家性を持つクリエイターが存在するように、それらの感覚には近しいものがある。優れたホラーを作れる者は、往往にして楽しい作品も創造できるということである。

■共感できる超人ヒーロー

 本作の主人公は、幼い頃にシングルマザーとはぐれ、以来、施設や里親のもとで生活してきた少年ビリー・バットソン。彼は母の消息をたずねるために警察のデータを盗み見るなど数々のトラブルを起こしていた。そんな彼の前に、ある日魔術師が現れ、ひょんなことからビリーは“スーパーマン”と同等といえるほどの強大なパワーを授かることになる。

 ビリーはその圧倒的なパワーを利用して、悪ガキのような遊びを繰り返していく。いじめっ子の所有物を破壊したり、映画『ロッキー』シリーズの主題歌として知られる「アイ・オブ・ザ・タイガー」のイントロのリズムに合わせて、調子に乗って人々の前で電撃を放ちながら踊るという、とんでもない行動も見せる。それにしても、かつてここまでくだらないことにスーパーパワーを使ったヒーローがいただろうか……。

 だが、想像してみてほしい。もしこのような力を手にしたら、ほとんどの人間はビリーのように、むやみに力を試したくなってしまうのではないだろうか。そう考えると、むしろそのような無茶をしない多くのヒーローたちの方が、行儀が良すぎるのかもしれない。このように、当然あるだろう感情を描いてくれたことによって、本作は主人公がたとえ超人となったとしても、多くの観客に感情移入させる間口の広さを獲得しているといえる。

■人間ドラマによって生み出される真のヒーロー像

 本作で常に描かれていくのは、家族についての物語だ。ビリーがいろいろなトラブルを起こし、里親とうまくやっていけなかったのは、はなればなれになった実の母親への愛情と憧れがあったからだろう。だが、そんなビリーにも新しい家族ができようとしていた。何人もの里子が引き取られた大家族の家庭で、少しずつ彼の居場所が生まれ始めていたのだ。そんな、自分を見守ってくれる家族を守るため、ビリーはビルの屋上から跳躍し、変身の言葉「シャザム!」を叫び、強大な敵と戦う覚悟を決める。非常にエモーショナルな名シーンである。

 ここで描かれているのは、純粋に人を守りたいと願う、熱い想いだ。ヒーローとは、ただパワーを持っているだけではなれない。損得とは関係なく他者のために尽力できる者を「ヒーロー」と呼ぶのではないだろうか。そう考えると、ヒーローであるためには、特別な力を持っている必要はない。ビリーを守るため里親になった夫婦や、ビリーの母親を見つけるために努力してくれる里子たちは、みんなそう呼ばれる資格があるはずである。だからビリーも、彼らを助けようと飛び出した瞬間に、初めてスーパーヒーローになったのだといえる。ヒーローの本質を表現した、このシーンまでのドラマを構築したことで、本作は“本格派”のヒーロー映画になったといえるのだ。

 『シャザム!』は、早くも続編製作の準備が行われているとの報が流れている。ヒーローの本質に迫りつつ、ギャグの連続と人間ドラマによって全編で笑わせてくれ、さらに胸を熱くさせる本作。ここまでの出来ならば、続編が求められるのも当然のことだろう。

小野寺系

最終更新:4/21(日) 10:02
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