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2万人に1人の難病を克服し、3階級制覇!“中京の怪物”田中恒成の原動力に迫る

4/21(日) 15:30配信

週刊女性PRIME

「ボクシングを通じて、優しくて強い男になりたい」

 そうはにかむのは、ボクシング現WBO世界フライ級チャンピオン・田中恒成選手。まだあどけなさの残る笑顔からは想像できないが、デビューから世界最速の12戦、国内では史上最年少で3階級制覇を成し遂げた、日本ボクシング界の至宝だ。

【写真】「走りたい」装具を外し、松葉杖で出場した徒競走のシーンなど

「そのわりには、いまいち知名度がないですし、普段は気づかれることも少ないんです(笑)。でも、調子に乗らずコツコツやるしかないですね」

 と謙遜するが、“田中恒成”というボクサーは、ただ単にボクシングが強いだけの選手ではない。心の強さにこそ、強さの秘密が隠されている。

 実は、小学校入学を間近に控えた6歳のとき、2万人に1人が発症する「ペルテス病」という、大腿骨骨頭が壊死してしまう原因不明の難病を患った過去がある。

「歩き方がおかしかったり、痛みを伴ったりしたので、変だなって。走ったり運動するのが大好きだったので、気持ちとは逆に、自由に動けないもどかしさがありました」(田中選手、以下同)

 1か月の入院後、治療として装具を右足に1年間つけての生活を強いられる。初めての運動会では松葉杖を使いながら、徒競走にも臨んだ。 そのせいでクラスメートからバカにされることもあったが、じっと耐え続けた。

「幼稚園のとき、父のすすめで空手を始めたのですが、装具をつけている間も毎日毎日腕立て伏せやトレーニング。周りにバカにされるより練習のほうがきつかった(苦笑)。くじける暇がなかったです」

 田中選手のトレーナーを務める父・斉(ひとし)さんも、幼少期にペルテス病に罹患し、2年以上、闘病した経験がある。

「自身の体験があったからこそ、父は僕に厳しい練習を課していたところもあったと思います。母は静かに見守ってくれる人で、僕の意思を尊重して口をはさむようなことはしませんでした。でも、後から聞けば無理をさせたくなかったようで、そうとう心配していたみたいです。父の厳しさと母の優しさに支えられたところが大きかった」

 日々の研鑽が功を奏したのか、発症から約2年後には後遺症もなくほぼ完治し、元の生活に戻ることができた。このときの経験は、田中選手の“土台”になったという。

「“頑張る基準”を教えてくれたような気がします。父は仕事の傍ら、僕の練習に毎日付き合い、母は生活に支障をきたさないように常にサポートしてくれた。子ども心に、“自分のために時間を使ってくれている”と思っていました。今の僕があるのは、あのときの闘病の日々があったからだと思います」

 小学5年生のとき、空手の練習の一環として始めたボクシングにすっかり魅せられた田中選手。その後、ボクシングに専念するとメキメキと頭角を現し、才能を開花させる。中京高校時代には国体2連覇、インターハイ優勝、高校4冠に輝くなど、いつしか“中京の怪物”と呼ばれるように。

「高校2年生のときに、誰に相談するでもなく自分でプロになる決意をしました。父は喜んでいましたが、母は複雑だったんでしょうね。ボクサーは選手寿命も長くないですから、“大学には行ってほしい”なんて話もされました」

 高校3年生でプロデビューを飾るや、強豪相手に2連勝。卒業時には、WBA世界ミニマム級14位にランクされ、大型ホープとして期待を集める。が、田中選手は意外な決断を下す。なんと、プロボクサーでありながら中京大学経済学部に進学したのだ。

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最終更新:4/22(月) 12:15
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