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古地図から見える関東大震災…東京で震度7を記録した地域は?

4/21(日) 10:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

災害があぶり出す古地図

武村さんは丹念な研究で、関東大震災の震度分布を割り出し、詳細な地図をつくりました。この地図からは、江戸以前の古い東京の地形が浮かび上がってきます。著書『関東大震災』に、以下のような記述があります。

「神田川は…江戸時代以前は平川と呼ばれ流路も異なり、本郷台を突っ切ることなく、水道橋付近で流れを南に変え江戸城の東側から日比谷入江にそそいでいた。水道橋付近から現在の日本橋川の方向に流れていたことになる」

「日比谷入江が埋め立てられたのは慶長年間である。さらに、元和六年(一六二〇)、徳川秀忠の政権時に、江戸城を洪水から守り、土砂による江戸の湊の埋没を防止するため、本郷台地を掘り割り、現在の放水路をつくって神田川を隅田川に直結するようにした。

このように地表の形は変わっても、地下にはもともと平川が洪積台地を削った谷が日比谷入江の下の丸の内谷から、(中略)水道橋へと続いている」

* 安土・桃山時代、大手町から芝にかけて東京湾の入江がありこれが日比谷入江。その東には半島状に突きだした江戸前島がありました。現在の日本橋や銀座などは前島の上に位置します。前島の東には隅田川が注ぐ江戸湊が広がっていました。

* JR御茶ノ水駅のあるくぼみ「お茶ノ水の掘割」は平川の流れを変える放水路として掘られました。ここから湧き出す水の水質がいいので、将軍の茶の湯の水にしたことから地名がついたと言われています。

「(関東地震で)震度が六強から七の地域は、まさにこの埋没谷に沿っているのである。その中で特に震度が高い神田神保町から水道橋にかけては(中略)大池と呼ばれる沼地であったことも注目すべきである」

今の飯田橋、水道橋から九段下、竹橋、大手町、丸の内、日比谷、新橋にかけて、関東大震災で揺れの強かった地域が帯状に続いています。武村さんの作成した震度分布図では「震度7」や「6+」となっています。これは、飯田橋から竹橋にかけて流れていた平川の「痕跡」です。1540年ごろには平川は「白鳥池」から流れていて、小石川と合流して日比谷入江に注いでいたようです。

痕跡は地名に残っています。「平河町」という地名を思い浮かべてください。皇居の北側には「平川門」や「平川濠(ごう)」があります。白鳥池は今の飯田橋の北側に広がっていたようで、「白鳥橋」という地名が残っています。大手町から新橋の西側は日比谷の入り江があった場所です。災害は旧地形をあぶり出すとも言えそうです。

九段会館は江戸末期の地図を見ると池の上です。「3.11」の時に天井が崩落し、お二人の方が亡くなったのも決して偶然ではないと言えます。平川の下流の一部だった日本橋川の上に首都高速があるのは大丈夫なのでしょうか。それに沿って気象庁や東京消防庁の建物があるのも心配です。どうも、二つの建物は、皇居の鬼門を守っているようです。

* 平川の下流の一部は、皇居の壕として残っている他、日本橋川もその一部です。平河町周辺はやたら谷と山が多い所です。

この他、武村さんの震度分布図において、都心で「震度7」となっているのは皇居の南、赤坂の溜池付近と麻布一の橋付近です。

* 「溜池」とは「東京都港区赤坂の低地にあった池。江戸初期まで飲料水(溜池上水)として利用されたが、玉川上水の完成により埋め立てがはじまり、明治初期には完全に陸地化した。ひょうたん堀。大溜」(日本国語大辞典)

虎ノ門から赤坂見附は溜池があった場所です。麻布一の橋は渋谷を流れる渋谷川が天現寺(南麻布4丁目)で古川となり、南に流れを変えるところです。1460年ごろの地図をみると「古川池」という沼地になっています。昔は原野を流れる川が沼や池をつくり、海に注いでいた。ここでも、かつての地図の川や池が浮かび上がります。

* 「これらの地域に共通する特徴は、台地を刻む河川が海へ出る少し手前に沼や池ができていることである」と武村さんは書いています。

こういった水辺の場所は、地盤が軟らかいため液状化が起こったり、強い揺れになったりすることが心配されます。また、相対的に低い位置ですから、大雨が降ると水があふれやすい場所にもなります。

* 1947年のカスリーン台風で水害を受けた所はかつての利根川の流れそのものです。2018年の西日本豪雨も同じで、隠れた川がもう一度現れる。北海道地震の清田区里塚の液状化もその一つ。昔の谷が液状化しました。

* 武村さんの『関東大震災』によると、埼玉県東部、特に大宮台地の東側の震度が高かったそうです。江戸時代初期に利根川や荒川の流れを変える「瀬替え」が行われましたが、もともと大河川が集まる地域だったためではないかと推定しています。

現在の浅草公園の西側から吉原にかけては、かつて「千束池」と呼ばれた巨大な沼地がありました。この辺りの震度も強く、武村さんは「…千束池は深さが20メートル以上もある深いものであったとの推定もある。池の底の堆積物やその後の埋め立ての影響が吉原を中心とした浅草区北部や下谷区北部での震度高さに関連している可能性も考えられる」と指摘しています。

隅田川の東側も武村さんの地図では「震度7」となっています。ここはもともと海の中で、干拓地ですからどうしようもありません。縄文時代、海だったところに北側から利根川が流れてきて土砂を堆積させました。

かつては利根川が東京湾に注いでいたものを千葉県の銚子の方に抜けるよう付け替えられたのはよく知られています。その付け替える前に位置していた辺りが、見事に震度が大きくなっています。東京スカイツリーは、最もよく揺れた場所にあります。

* 首相官邸は谷の上の台地にあります。武村さんの地図では首相官邸も霞が関の官庁街もみな「震度5-(マイナス)」になっていてあまり揺れていません。明治政府は建設技術が未熟だったため、軟弱な日比谷に官庁をつくることを断念し、公園にしました。東京駅の東側の銀座や日本橋の揺れはあまり強くありませんでした。この場所は上野や本郷の台地の延長に位置する前島にあるため、地盤も相対的に固いからです。

東京の旧地名は「江戸」。「江」と「戸」ですから、大きな川の入り口を連想させます。徳川家康が江戸に入った1590年当時、湿地帯と原野ばかりの土地を見て、家康はどう感じたでしょうか。

江戸時代の大改造によってつくられた東京の街は、同じ都内でも、ずいぶん災害危険度が異なります。ビルとアスファルトに覆われて、かつての地形はかなり分からなくなっていますが、残っている地名や坂道からも地形の変化を感じとることができます。東京は全国で最も坂道の多い都市の一つ。23区内に名前が付いている坂道は740もあるそうです。坂道が多いのは、武蔵野台地の端の港区と文京区、少ないのは低地の墨田区と足立区です。

こんな風に東京の街を「ブラタモリ」のように歩いてみたり、電車の車窓を眺めたりして、地形の変化を感じてみてください。

福和 伸夫

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最終更新:4/21(日) 10:00
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