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「恥ずかしい母校」が「進学校」に 須磨学園、創立者の孫が明かす変身のヒミツ

4/22(月) 6:40配信

NIKKEI STYLE

《連載》学校のリーダー

定員割れが続き、「勉強できない子がいく学校」と評する人までいた状態から、20年で兵庫県有数の進学校に変身した学校がある。神戸市の須磨学園だ。「塾いらず」とされる面倒見のよさと、ビジネスマネジメントの手法を取り入れた指導で生徒のやる気を引き出す。創立者の孫であり、改革をリードしてきた西泰子理事長は「すべては教師のモチベーション次第」と言い切る。

■学校経営 祖母から両親へ、そして…

須磨学園は1922年創立の須磨裁縫女学校が前身だ。経営は創立者の祖母から両親へと受け継がれており、西氏は学校に隣り合う家で育った。2歳上の兄がアスキーを設立し、米マイクロソフトの副社長も務めた西和彦氏だ。

実家にいた頃、須磨学園から大学に進む生徒はほとんどおらず、「やる気のない生徒と先生しかいないと思っていた」(西理事長)。学校を継ぐ気はまったくなく、大学から米国に進学。大学院を修了して帰国した後、結婚して東京で生活を始めた。

夫が若くして他界し、35歳で両親の住む神戸へ戻ったのが転機となった。須磨学園の経営に参画し、その同窓会に出席した西氏は卒業生の言葉に衝撃を受けた。「須磨を賢い学校にしてください。卒業生はみんな恥ずかしくて母校の名前を言えない」

■あの震災、みんなが学校に集まった

直後の95年1月、阪神大震災が発生した。校舎の窓ガラスが3000枚も割れるなどの被害が出るなか、先生たちが続々と学校に集まってきた。「やる気がないと勝手に思い込んでいた先生たちが、自分たちも被災したのに生徒のためにすぐ動いてくれた」(西氏)

そんな様子を見るうち、学校をなんとかしようという決心を固めた西氏は「男女共学の進学校にする。3年後に変えます」と宣言してしまった。震災後の校舎改修で、とりあえず男子トイレを設置するなど強引ともいえる勢いで改革を始めた。

学校を変えるには、教師の意識も変えなければと考え、先生たちとセンター試験を解いてみる会を開いた。ところが、「解けない先生がたくさんいた。進学校になろうとしているのに、センター試験が解けなかったらお話にならないでしょう?」。奮起して、先生たちの勉強会を始めた。

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最終更新:4/22(月) 8:08
NIKKEI STYLE

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