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現在会社員の「黄金世代」。氏家英行の野望とチームメイトへの思い

4/23(火) 6:20配信

webスポルティーバ

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第5回:氏家英行(後編)

【写真】小野伸二が語る「1999年ワールドユース」

 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会、日本は準優勝に終わった。

 決勝のスペイン戦(0-4)、氏家英行は初出場初先発を果たしたが、チームの勝利に貢献することはできなかった。

「『あの時、こうしておけばよかった』と試合後に考えることができれば、しっかり判断してプレーしていたんだな、ということになる。でも(自分は)無我夢中でやっていたので、(試合後)何が課題で、何が足りないのか、ということがわからなかった。自分は”何もできなかった”ということしかなかったですね」

 それでも、ワールドユースを終えて、当時所属の大宮アルディージャに戻って試合に出場した時、氏家は自分の中で小さな変化をいくつか感じられたという。

「大宮に戻ってきた時、相手チームにA代表の選手がいても、ビビらずにプレーできるようになりました。そうして、試合をこなしていくごとに、試合の流れをしっかりと読むとか、力任せではなく、自分で考えてプレーするとか、自らの課題が見えてきたんです」

 その一方で、ワールドユースを戦った仲間たちは、2000年シドニー五輪出場に向けて動き出していた。高原直泰、稲本潤一らが五輪代表チームの主力になっていくなか、氏家もシドニー五輪は自らの視野に入れていた。

「シドニーに行きたい気持ちはありました。でも、大宮は当時J2だったし、(自分は)スペイン戦で結果を出せなかった、というのもあったので……。

 一度、(五輪代表の指揮官も務めることになったフィリップ・)トルシエ監督が試合を見に来てくれたことがあって、『もっとがんばれば代表に入れるかな』と思ったこともありましたが、現実的には『厳しいな』と自覚していました。ただもう1回、ナイジェリアで味わったような経験をしたいなっていう気持ちはありました」

 氏家は、大宮では主力としてプレーしていたが、ワールドユース以降は結局、五輪を含めて日本代表に招集されることはなかった。2004年まで6年間、大宮でプレーし、J1昇格を決めた同シーズン後、J2のザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)に移籍した。

「大宮では本当に成長させてもらいました。いつも応援してくれている”サポーターのために”という思いでプレーができたし、チームの選手たちとは友人や家族のような感じだったので、常に高いモチベーションを保って試合ができていたんです。

 でも、草津に行くと(大宮とは)あまりに違う環境に気持ちが追いつかず、自分の特徴を監督やチームメイトになかなか理解してもらえなかった。”大宮愛”が強かったのもあったんですが、モチベーションが上がらなくなってしまった。正直、何のためにサッカーをしているのか、わからなくなってしまったんです」

 草津の水が合わず、氏家は2005年の1シーズン限りで退団。その後、いろいろなチームから声をかけてもらったが、氏家はこの時、このまま選手としてプレーを続けていく自信を失っていた。現役引退もちらついていたという。

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最終更新:4/23(火) 6:20
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