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「こいつら、巧いよ」トルシエが惚れ込んだ黄金世代。平成日本サッカー史に与えた、絶大なる影響

4/23(火) 5:20配信

SOCCER DIGEST Web

時代の先駆者となり、世界への扉をこじ開けた

 1999年4月24日。ナイジェリアで開催されたワールドユースの決勝に勝ち上がったU-20日本代表は、シャビを擁する強豪スペインとの最終決戦に挑んだ。

 日本の快進撃は世界を震撼させたが、大黒柱の小野伸二を欠いたこの日ばかりは勢いが削がれた。GK南雄太の5ステップによるPK献上を皮切りに、前半だけで3失点。終わってみれば0-4の完敗を喫した。それでも、大会ベストイレブンに小野と本山雅志が選ばれるなど、日本の若い世代の評価が急上昇したのは確かだ。

「監督のフィリップ(・トルシエ)は『こいつら、巧いよ』とよく言っていました。『ボールも速く動くし、テクニックもある。ホントに凄い才能を持った選手たちだ』と。だから自分がユース代表監督をやると言い出したんでしょう」と、当時コーチを務めた山本昌邦氏も語ったことがある。

 ワールドカップ出場国を率いた外国人指導者が見ても、小野、本山、稲本潤一、遠藤保仁、小笠原満男らの技術と戦術眼は非凡なものがあったに違いない。それを世界の大舞台で実証したことで、日本人選手の評価が急上昇したのは紛れもない事実だ。

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 この時点で欧州トップリーグに参戦していた日本人は中田英寿のみ。名波浩が同年夏にセリエAのヴェネツィアへ移籍したものの、まだまだ海外移籍のチャンスは限られていた。それを広げたのが、2001年にフェイエノールト入りした小野とアーセナルに行った稲本、ボカ・ジュニオルスに赴いた高原直泰だ。

 とりわけ小野は1年目から主力の座を掴み、2001-02シーズンのUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)制覇の原動力となる。当時の指揮官であるベルト・ファン・マルバイク監督も「シンジはいまで一緒に働いたなかで最高のプレーヤーだった」と絶賛するほどの存在感を示したことで、欧州での日本サッカーへの関心度がさらに上昇。その後の中村俊輔、柳沢敦らの大量移籍につながる。

 2010年代に入ってからの本田圭佑や香川真司の活躍もあって、ナイジェリアから20年が経過したいまは、日本代表どころか、年代別国際大会に出ていないような選手でも欧州にプレー環境を見出せる時代になった。その先駆者である黄金世代の役割はきわめて大きいと言っていい。

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最終更新:4/23(火) 5:20
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