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【張本勲の“喝”】平成の30年の間に野球の“浪漫”が失われた/張本勲コラム

4/24(水) 10:59配信

週刊ベースボールONLINE

 平成の時代が間もなく終わりを告げようとしている。私のような昭和の人間にとっては、こと野球界に関して言えば、平成の時代にあまりいい思い出はない。

 もちろん平成の野球界にもイチロー(元オリックスほか)や大谷翔平(エンゼルス)など、たくさんの素晴らしい選手たちが生まれてきた。だが、プロ野球全体を見渡せば、昭和の野球にあった“浪漫”が消えていった時代でもあった。ピッチャーとバッターが平等な条件で、力と力だけでなく、技術と技術をぶつけ合う。そんな真剣勝負の中からしか“浪漫”は生まれない。

 前回も書いたが、その理由の一つは打高投低にある。誰が見ても「ああ、自分たちにはマネができないな」と思わせるプレーを見せるのがプロ野球選手の使命であり、それが野球少年・少女たちに夢を見せるということでもある。それが今は、「これだったらちょっと上半身に力をつけて、バットをボールにぶつければ自分でもホームランを打てるかな」とアマチュアの選手たちに思わせてしまうような野球になってしまった。技術よりも、力ばかりに目が行ってしまっている。

 4月6日は全6カードで22本ものホームランが乱れ飛んだ。しかも、こすったような打球が次々とスタンドに飛び込んでいった。確かにその瞬間は面白いと感じるかもしれないが、これでは引き締まった野球、固唾をのんでゲームに引き込まれるような本物の野球がどんどん失われていってしまう。

 平成の時代の少し前からではあるが、ドーム球場が次々と生まれ、人工芝も増えていった。どちらも功罪相半ばするものではあるが、野球界を進歩させた素晴らしいものであることは事実だ。だが、風の影響もなくボールが飛んでいくドーム球場、打球スピードが増す人工芝。それを良しとしていいのか。すべてがバッター有利に働いている。

 一方で、これだけの打高投低の平成時代に三冠王となったのは松中信彦(元ダイエー・ソフトバンク)ただ一人。王貞治(元巨人)の55本塁打は破られたが、下位打線の非力なバッターが20本塁打を打つ時代だ。70本くらい打つ本物の四番バッターが出てこないほうがおかしい。

 ボールが飛ばなかった昭和の時代にワンちゃん(王)は2位と19本差の55本塁打を放ち、私が打率.383を打った1970年のパ・リーグの平均打率は.246、セ・リーグは.234だった。それが昨年はセが.259、パは.254だ。かつてのように3割を打てば一流と言える時代ではなくなっている。3割を打ってもゴルフで言えば予選を通過したくらいのものだ。それにもかかわらず、3割バッターの数が増えているわけではないし、飛び抜けた存在がいるわけでもない。

 ピッチャーもピッチャーだ。飛ぶボール、狭い球場、人工芝などに迷惑しているのは間違いないが、それでも14勝、15勝程度で最多勝だと言われても、決して胸を張れるものではない。もちろん時代が違う、ピッチャーの起用法が今とは違うことは分かった上で書くが、42勝した稲尾和久さん(元西鉄)、38勝4敗を記録した杉浦忠さん(元南海)は、ただたくさんの試合に投げ、ボールが飛ばなかったから数字が残せたわけではない。体力強化、自己管理、そして技術を磨き続けたからこそだ。

 一方で、不幸なことに酷使された。今のように中5日、中6日であれば、もっと選手寿命は長かったことだろう。当然、昭和の時代から正されてきたものもある。

●張本勲(はりもと・いさお)
1940年6月19日生まれ。広島県出身。左投左打。広島・松本商高から大阪・浪華商高を経て59年に東映(のち日拓、日本ハム)へ入団して新人王に。61年に首位打者に輝き、以降も広角に打ち分けるスプレー打法で安打を量産。長打力と俊足を兼ね備えた安打製造機として7度の首位打者に輝く。76年に巨人へ移籍して長嶋茂雄監督の初優勝に貢献。80年にロッテへ移籍し、翌81年限りで引退。通算3085安打をはじめ数々の史上最多記録を打ち立てた。90年野球殿堂入り。現役時代の通算成績は2752試合、3085安打、504本塁打、1676打点、319盗塁、打率.319

写真=BBM

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最終更新:5/16(木) 11:39
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