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『神田明神曙之景』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第36回

4/24(水) 16:00配信

nippon.com

歌川広重「名所江戸百景」では第10景となる『神田明神曙之景(かんだみょうじんあけぼののけい)』。天下祭(てんかまつり)で知られる神田明神の日の出を、あえて太陽を隠して描いた広重らしい一枚である。

神田祭のにぎわいとは対照的な、静寂を感じさせる神田明神

江戸時代、「江戸総鎮守」として江戸っ子たちの尊崇を集めた神田明神。2年に一度開催される「神田祭」では、40本以上の豪華絢爛な山車(だし)や神輿(みこし)が市中を練り歩いたという。行列は江戸城内にも入り、将軍も見物したことから「天下祭」と呼ばれるようになり、全国的に知られる祭りであった。

神田祭は、江戸城の鎮守社であった日枝神社の「山王祭」と交互に隔年開催される。広重は名所江戸百景で山王祭の江戸城への練り込みを描いているので、神田明神でも夏の神田祭のにぎわいを題材にしてもよさそうだが、静寂を感じさせる春の曙を描いた。境内がある本郷台地から、東側の神田の町、両国(現在の東日本橋)、隅田川、深川、本所あたりの町並みまでを見渡す構図である。当時、高台にある神田明神は見晴らしが良く、朝日の名所として人気があったようだ。この絵が描かれる直前の江戸は、安政2(1855)年の大地震、安政3年の台風によって甚大な被害が出た。広重は復興を願う気持ちで、夜明けを象徴する曙の景を選んだともいわれている。

構図には広重の巧妙な演出が施されている。境内に植えられていたサワラ(ヒノキの一種)の木を中央に配しているため、太陽が昇る様子を見ることはできない。神官、巫女(みこ)、仕丁(しちょう)の目線やしぐさによって、幹の向こう側にある美しい朝日を想像させるという仕掛けだ。

早春の未明、神田明神でカメラを構えて日の出時刻を待った。境内の東側、元絵では葦簾(よしず)屋根の縁台が置かれる場所に、現在は明神会館という建物があって町並みを見下ろすことはできない。明神会館と朝焼けの空を撮るしかないと諦めていたら、朝日に染まったスカイツリーが東の空に浮かび上がってきた。スカイツリーをサワラに見立てることもでき、元絵同様に見えない太陽を想像させる写真となったので作品とした。

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最終更新:4/24(水) 16:00
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