ここから本文です

三菱パジェロ国内販売終了!砂漠の王者が37年の歴史に幕

4/24(水) 14:25配信

Auto Messe Web

日本の本格派オフロード車は代々の社員ドライバーで世界一過酷なパリダカへ

 満を辞してついに1982年5月に初代パジェロが登場すると、すぐに三菱は「世界一過酷なラリー」であるパリダカール・ラリーの市販車改造クラスに参戦するべくマシンを仕立てた。初参加となる1983年のパリダカール・ラリーでは望外とも言える結果を残した。「市販車無改造T1クラス」で見事にクラス優勝を飾り、総合でも11位という好結果だったのだ。

 翌1984年にはクラスを「市販車改造T2クラス」にアップして挑んだが、この年により改造範囲の広い「プロトT3クラス」に参戦したポルシェ911に総合優勝を持ち去られる。そして臨んだリベンジ戦となる85年ではさらに「プロトT3クラス」へとマシンを改造した。

 このリベンジ戦は見事に成功し、三菱にとっては総合での1-2フィニッシュ、市販車改造クラス、マラソンクラスの各クラスでもパジェロが優勝する快挙となった。「世界一過酷なラリー」で優勝を飾ったパジェロは「世界一の砂漠走行性能を持つ王者」として世界中にその名を轟かせることとなった。

 この結果に気を良くした三菱自動車は、社員ドライバーだった篠塚建次郎を1986年のパリダカ「市販車無改造クラス」にパジェロドライバーとして起用。それに応えて篠塚もクラス3位となり、日本人が乗る日本車パジェロでのパリダカの活躍で「パジェロブーム」が一気に花開く形となった。その篠塚が、「日本人による日本車の総合優勝」を飾ったのは1997年のことだった。そして、もう一人、パジェロには素晴らしい社員ドライバーがいた。

「1982年に22歳で三菱自動車に入社して小僧だった頃からパジェロに携わり、まさに家族や子供のような存在のクルマ」というのは、2002年と2003年にパジェロに乗りダカール・ラリーで総合2連覇の偉業を成し遂げた社員ドライバーの増岡浩さんである。現在は、三菱自動車工業株式会社 経営企画本部/広報部/開発本部/技術管理部チーフエキスパート。

 2001年にバギーで出場していたJ・L・シュレッサーの後塵を拝した増岡とパジェロは、リベンジを誓い車両レギュレーションが目まぐるしく変わる難しい状況の中でマシンを作り上げた。増岡とパジェロはスタート間もない序盤から他を圧倒する走りでリードし、盤石の体制で優勝を果たしている。結局、パジェロは「世界一過酷なラリー」であるパリダカール・ラリーで7連覇を遂げ、圧倒的4WD性能とそのタフさを世界中に見せしめた。

「初優勝の時は終盤でミスコースしてその差を縮められて少し焦りましたけど、結果的にはまったく問題ありませんでした」と当時を振り返ってくれた。また日本での販売を終了してしまうパジェロに対しては「パジェロがデビューした当時の日本の道も世界の道もまだ悪い道が多く、乗用車のような乗り心地で快適でありながら本格的な悪路走破性を持つパジェロだから皆さんに可愛がっていただいたのだと思います。もちろんパジェロが日本の道から姿を消すのは寂しいですが、三菱自動車はさらに技術を磨きデリカD5やアウトランダー、エクリプス・クロスなどで最新の技術を感じていただけるようなクルマ作りを続けていきます」と語ってくれた。

 三菱自動車が長年JEEPで培った本格的4WD技術を苦悩の末に商品化した「パジェロ」は、その名に恥じない猫のようなしなやかなかつタフな足回りで「コロコロ」と世界中を走り愛された。平成時代を象徴する「砂漠の王者=パジェロ」は、増岡さんがいうように静かにその役目を終えて次代のクルマに引き継がれようとしている。

2/3ページ

最終更新:4/24(水) 14:35
Auto Messe Web

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事