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「ゲームボーイ」生誕30周年。発売時期の知られざる『テトリス』権利争奪戦

4/24(水) 15:30配信

HARBOR BUSINESS Online

◆ゲームボーイ生誕30周年

 1989年4月21日に、任天堂から携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」が発売された。それから30年が経った2019年の4月21日には、Twitterなどでゲームボーイの思い出が多数呟かれた。

⇒【画像】テトリスの権利争奪戦で触れたい本『テトリス・エフェクト  世界を惑わせたゲーム』

 ゲームボーイは日本で3,247万台、世界全体では1億1,869万台が販売されている。ソフトは、日本で1億5,706万本、世界全体では5億111万本が売られた(任天堂株式会社 連結販売実績数量の推移>)。

 ゲームボーイ発売の1年7ヶ月後の1990年11月21日には「スーパーファミコン」が発売されている。ゲームボーイ発売時期には既にメガドライブやPCエンジンが発売されていた。家庭用ゲーム機が、ファミリーコンピュータから次世代に移行しようとしているタイミングで、ゲームボーイは発売された。

 このハードは長く愛された。登場から7年後の1996年7月21日には、小型薄型軽量化が図られたゲームボーイポケットが出た。また1998年10月21日には、カラー化されたゲームボーイカラーも発売された。

◆子どもが手荒く扱っても壊れなかったゲームボーイ

 登場から18年後、2007年10月末の時点で、ゲームボーイのシリーズは修理の受付が終了した(修理の受付が終了した商品、任天堂、ファミコンなど一部の過去ハードの修理受付を終了)。

 ゲームボーイはかなり頑丈で、子供が手荒く扱っても壊れなかった。ただし、モノクロ4階調の画面は、ドット欠けをよく起こして、ユーザーを悩ませた。

 今でも、Steamではゲームボーイ風画面のゲームが多数発売されている。30周年の4月21日には、平成最後のゲームボーイソフト「ドラキュラの城GB」が発売されたというニュースもあった。ゲームボーイは多くの人に愛されて世界中で遊ばれた。

* 1989年04月21日 ゲームボーイ 日本で発売

* 1989年06月14日 ゲームボーイ版『テトリス』が発売

* 1989年07月31日 ゲームボーイ アメリカ合衆国で発売

* 1990年09月28日 ゲームボーイ ヨーロッパで発売

* 1994年06月14日 スーパーゲームボーイ発売(※)

* 1996年02月27日 『ポケットモンスター 赤』『ポケットモンスター 緑』が発売

* 1996年07月21日 ゲームボーイポケット発売

* 1998年04月14日 ゲームボーイライト発売

* 1998年10月21日 ゲームボーイカラー発売

※ スーパーファミコンの周辺機器。スーパーファミコンで、ゲームボーイのゲームが遊べる。

◆ゲームボーイ発売時期の知られざる戦い、『テトリス』の権利争奪戦

 さて、今回ゲームボーイ生誕30周年ということで是非触れておきたい本がある。2017年10月に白揚社から出た、ダン・アッカーマン (著)、小林啓倫 (訳)の『テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム』だ。

 まず、本の紹介文を引用しよう。

“1989年、任天堂がソ連へ送り込んだ一人の男――目的はゲームボーイ版テトリスの発売権獲得だった。ソ連政府との駆け引き、日米英ライセンス争い、法廷闘争……史上最も売れたゲームの驚きの誕生秘話。”

 私はこの本を2018年に読んだ。冷戦時代を背景に、スパイ映画も真っ青の物語が展開していく。

 鉄のカーテンから染み出すように西側諸国にやって来た謎のゲーム『テトリス』。新ハード『ゲームボーイ』のキラーコンテンツを探している任天堂。もうそれだけで、わくわくが止まらない。

 それでは、話の筋を少し見てみよう。

 冷戦で劣勢になったソ連。その研究所で働くアレクセイ・レオニードビッチ・パジトノフのもとには、低スペックのコンピュータしかなかった。しかし、そうした環境でも、彼の創作意欲は止められなかった。

 パジトノフが作ったゲームは、最初は熱中できるものではなかった。しかし改良していくにつれ、麻薬のような中毒性を人々にもたらすようになる。研究所で蔓延したそのゲームは、徐々にコピーされて東側諸国に伝播していく。そして、鉄のカーテンを越えて西側諸国にも到達する。

 何だ、このゲームは? 西側諸国でも、その中毒性にはまる人が続出した。そして『テトリス』の権利を争奪する、西側のプレイヤーたちが活動を始める。

◆任天堂が選んだエージェントはオランダ生まれの男

 任天堂がエージェントとして選んだのは、ヘンク・ロジャースという男だった。オランダのアムステルダムで生まれた彼は、ハワイ大学でコンピュータ・サイエンスを学ぶ。初期のTRPGに影響を受けた彼は、横浜で株式会社ビーピーエス(Bullet-Proof Software)を創業して、ファンタジーコンピュータRPG『ザ・ブラックオニキス』を作り、発売する。

 ヘンク・ロジャースは、持ち前の豪胆さと押しの強さで、任天堂に出入りするようになる。そして、新ハードのキラーコンテンツ獲得に関わることになる。ソ連に一度も足を踏み入れたことがない彼は、任天堂の密命を受けて、異世界とも呼べる地に単身乗り込んでいく。

 共産主義社会の中で、自由も著作権も主張できないパジトノフ。

 世界各地で暮らした経験を持ち、時に山師のように振る舞う、自由主義の寵児ヘンク・ロジャース。

 まったく違う世界で生まれ育った2人が出会うには様々な障害があった。しかし2人には共通点があった。それはゲームに対する熱い情熱だった……(以降の展開は、本でお確かめ下さい)。

 西側諸国と東側諸国が対立していた時代、家庭用ゲーム機のビジネスが成長する時代に、私は少年期や思春期を過ごした。私のような人間にとって、この本は往時を思い出しながら熱中できる一冊となる。

 そして特筆すべきは、人が持つゲームや創作に対する情熱だ。それらは、どんな社会でも芽生える。人間はそうした思いを通して、異なる社会の人たちとも分かりあえる。

 本書を未読の人は、ゲームボーイ生誕30周年を記念して、是非読んで欲しいと思う。

◆そしてNintendo Switchへ

 ゲームビジネスは、ゲームボーイから30年を経て、まだまだ発展し続けている。先週、『Nintendo Switch』が中国で発売するかもというニュースがネットを賑わせた(「スイッチ」中国進出へ 任天堂、テンセント通じ(共同通信))。

 ゲームボーイの『テトリス』が、東西冷戦の鉄のカーテンを超えて文化の交流を果たしたように、『Nintendo Switch』は中国の壁を越えて、新たな道を切り開くのだろうか。

 筆者は現在、『Nintendo Switch』向けのゲームを1人で開発している。小説『レトロゲームファクトリー』を書いて以来、ゲーム開発欲に火が付き、現行ハードに個人で挑戦したくなったからだ。ゲームには、社会や文化の違いを乗り越える力がある。その力を信じて、チャレンジしていきたいと思う。

◆ゲーム開発者が見たギークニュース

<文/柳井政和 photo by Ken Yamaguchi via flickr(CC BY-SA 2.0)>

やない まさかず。クロノス・クラウン合同会社の代表社員。ゲームやアプリの開発、プログラミング系技術書や記事、マンガの執筆をおこなう。2001年オンラインソフト大賞に入賞した『めもりーくりーなー』は、累計500万ダウンロード以上。2016年、第23回松本清張賞応募作『バックドア』が最終候補となり、改題した『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』にて文藝春秋から小説家デビュー。近著は新潮社『レトロゲームファクトリー』。

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最終更新:4/24(水) 15:30
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