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1995年Jリーグ。中田英寿デビュー、ピクシー覚醒にレオ様の美技炸裂。ただブームに陰りも…【Jリーグ平成全史(3)】

4/24(水) 7:00配信

フットボールチャンネル

1993年に開幕したJリーグは今季で27年目を迎えている。平成とともに歩み成長し、そして時代は間もなく令和へと移行する。フットボールチャンネル編集部では、昨季までの26年間を1年ずつ振り返っていく。今回は1995年(平成7年)。

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1995年(平成7年)

 セレッソ大阪と柏レイソルが新たに加わり、Jリーグは14クラブで争われることとなった。

●参加クラブ
鹿島アントラーズ
浦和レッドダイヤモンズ
ジェフユナイテッド市原
柏レイソル
ヴェルディ川崎
横浜マリノス
横浜フリューゲルス
ベルマーレ平塚
清水エスパルス
ジュビロ磐田
名古屋グランパスエイト
ガンバ大阪
セレッソ大阪
サンフレッチェ広島

 ホーム&アウェイを2度行うレギュレーションは変わらず、この年は各クラブ計52試合を戦うこととなった。2019年現在は全34試合ということを考えると、52試合を戦った当時の選手たちに賛辞を送らずにはいられない。このシーズンから勝点を採用。「90分勝利」、「Vゴール勝利」、「PK戦勝利」に勝ち点3を、「PK戦敗北」には1ポイントが与えられた。

 日本代表は、前年末に就任した加茂周監督体制となった。同体制は1997年途中に終焉を迎えることになるのだが、選手選考を見ると1995年は重要な1年だったことがうかがえる。10番を背負う名波浩、中盤のバランサー・山口素弘、知的なサイドバック・相馬直樹、鉄壁のCB・秋田豊、ストライカー・城彰二といった面々がこの年に代表デビューを果たしている。悲願のワールドカップ初出場に向け、本格的に始動した年だったことがわかる。

主な出来事

 日本代表がフランスワールドカップ出場へ動き出した1995年、Jリーグにも超新星が現われた。中田英寿がベルマーレ平塚に入団したのだ。前年にJリーグに所属していた12クラブ中11クラブがオファーを出し、最終的に平塚を選ぶことになる。ルーキーイヤーから存在感を発揮。攻撃的で自由な雰囲気のあるチームでノビノビとプレーし、8得点を記録している。

 ドラガン・ストイコビッチはJリーグ最高の選手との呼び声高い名手。彼が本領を発揮したのは1995年からだ。94年に加入し、雨でぬかるんだピッチをリフティングで突き進むなど美技を見せていたが、レフェリーに抗議することも多かった。

 “覚醒”の一因は間違いなくアーセン・ベンゲル監督就任だろう。後にアーセナルで無敗優勝を成し遂げる知将は、名古屋に戦術を与え、ストイコビッチをエースとして躍動させた。そしてこの年、ピクシーはJリーグMVPを受賞することになる。ストイコビッチとベンゲル。偉大な2人がいたという事実は名古屋にとって誇りだろう。

 さらにこの年は、今も語り継がれる伝説のゴールが生まれている。主役となったのは鹿島アントラーズのレオナルドだ。NICOSシリーズ 第19節・横浜フリューゲルス戦。PA手前でパスを呼び込んだ10番は、左アウトサイドでボールを浮かし、相手のスライディングをいなす。そして3度のリフティングでDFを翻弄、さらに腿でコントロールすると、タイミングを外してハーフボレーを放った。GKは反応できず、ボールは綺麗にネットを揺らした。

 現役ブラジル代表の美技は、Jリーグ20周年の際にベストゴールに選ばれている。

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最終更新:4/25(木) 15:25
フットボールチャンネル

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