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北京五輪マラソン 土佐礼子さんが足を止めた奇跡の声

4/25(木) 7:47配信

NIKKEI STYLE

マラソンランナー、土佐礼子(42)の持ち味は、たとえ離されても決して諦めず、粘って走りきることだった。独自のスタイルで好成績を残してきた彼女が現役時代の全15レースで唯一、棄権したのが北京五輪だ。どんなに遅くても走り続ける方が楽と考えるランナーが、どうして足を止めたのか。今回は北京五輪女子マラソンの陰で起きていた物語を描く。(前回は「女子マラソンの土佐礼子さん 五輪の棄権が残した痛み」)
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土佐礼子は、アテネに続き2度目の出場をかなえた北京五輪(2008年)までマラソン11戦中優勝3回、2位3回、11戦全てで5位以内に入る圧倒的な安定感を誇るランナーだった。黄金時代を築いた日本の女子マラソン界にあってその調整力、メンタルの強さは他のランナーとは異なる魅力であり、棄権とはいわばもっとも縁遠い「計算できるランナー」でもあった。

■外反母趾の痛み、右足にも

北京五輪前、中国でのトレーニング中に、陸上を始めて以来長く付き合って来た左足の外反母趾(ぼし)をかばって、右足の同じ箇所に痛みが出始める。検査の結果、骨折など決定的なダメージはなく、医師の指示のもと、調整をしながらスタートラインにたどり着いた。痛み止めの薬を服用したが、走る体は十分に仕上がっていた。
「少しくらい痛みがあっても、途中メダルが無理になったとしても、入賞する自信は十分にありました。今思うと、選手にとってアドレナリンの力は痛み止め以上なんですね」
痛恨の棄権から10年が経過し、土佐はそう話を続ける。
天安門のスタートから、いつものように先頭グループで積極的な走りを見せる。痛みのため少しずつ遅れ始め、17キロを過ぎついに集団から脱落した。
この時、夫の村井啓一は、厳戒な警備が敷かれた北京市内で、1人不慣れな地下鉄を乗り継ぎ、妻を追いかけていた。どの駅の、どの出口ならばコースで声を掛けられ、次のポイントはどの駅なのか。中国の威信をかけた警備では、国内レースのようにこうした詳細を把握し声援を送るのは不可能だ。メインスタジアム「鳥の巣」でゴールを迎えるためには、ハーフを前に追走を切り上げ先行する必要がある。しかし、現地でテレビ観戦していた知人から届いた「スタジアムに行かないほうがいい」との短いメッセージに緊急事態を悟り、すぐさま引き返した。
「自分がどこにいるのかも分からない状況でしたが、メールで棄権するかもしれないと分かりました。とにかくコースに出ようと、知らない駅から外に飛び出すと、礼子が、足を引きずり通過するのが見えたんです。ですから人をかき分け、背中に向かって力いっぱい叫びました」
ランナーにとって、痛みに耐え、はって前進するより、止まる方がはるかに難しい。メダルも入賞も遠のいていたが、オリンピックでの棄権など頭の片隅にもなかったに違いない。土佐を止めたのは、医師や役員、自分の意志でもなく、奇跡のようにそこにいてくれた夫の声だった。
「レイコォ! もう十分だよ! やめよう!」
姿は見えなかったが、何故か背後から聞こえる夫の叫び声で足を止めた。日本陸連の関係者がコースアウトを促し棄権を通達。偶然にも、松山商業高校の恩師、竹本英利も近くで応援しており、竹本と村井に抱きかかえられ救急車に運ばれた。
「棄権した場所に何故、旦那さんと先生がいるんだろう、と不思議に思いました。救急車には主人と2人で乗り、隊員の方が足の痛みには構わず、酸素マスクを口にあてて数値を見ている。棄権の理由は足の痛みなんです、と訴えたかったんですがそれもできず……。あぁ、オリンピックが終わった、と全身の力が抜けていきました」
42.195キロのどこで棄権するか、まして海外の、警備も厳しいオリンピックレース中、どの地点でコースアウトするかなど予測できるはずがない。見知らぬ土地でのコースアウトは、常にゴールのみを目指すランナーにとって迷子になるのと同じだ。
金メダリストのコンスタンティナ・トメスク(ルーマニア)のゴールを、2人は病院のロビーにあったテレビで眺めていた。
「私はここにいないんだ、ゴールもできなかったんだ。どうしてこうなったんだろう」
そう思うと涙があふれ、初めて大きな声を上げ泣いた。
翌々日の8月19日、鈴木秀夫(当時三井住友海上監督)と共に成田空港に到着すると「すみませんでした」と報道陣を前に頭を下げ、今後の話は改めたい、とやつれた表情で答えるのが精いっぱいだった。心ない批判は、周囲が耳に入れないよう配慮しても聞こえてくる。
テレビではコメンテーターたちが「なぜもっと早く、状態を報告しなかったのか」と出場の判断を批判し、「精密検査などしていれば、早い段階で補欠に交代できた」と論評する。しかし検査も体調管理も、無論注意深く行われており、補欠の選手がケガをしていた水面下の事実も知られてはいなかった。
陣営は痛みが出て以来、練習量を落とし、水中ウオーキングや、自転車をこいで心肺機能を維持するなど足への負担を減らすようメニューを変更し、最善を尽くした。07年の大阪世界陸上前にも合宿中に転倒。ひどい打撲を負いながら銅メダルを獲得し北京五輪代表に内定した経験も持つ。どのランナーにとってもケガやアクシデントは常に乗り越えるハードルのひとつだ。

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最終更新:4/25(木) 12:15
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