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【平成DeNA年代記】大魔神とマシンガン打線で1998年歓喜のV、近年浮上の予感も

4/25(木) 11:04配信

週刊ベースボールONLINE

平成は横浜大洋ホエールズとしてスタートし、1993年からは横浜ベイスターズに。ただ、変わらず優勝からは縁遠かった。ハマの若者たちが大きく開花したのが、98年の日本一だ。その後、また低迷が続いていたが、DeNAとなってからは1年1年、確実に力をつけ、再び頂点を狙っている。

横浜大洋からのスタートして……

 平成は最悪のスタートを切る。1989年、投打とも振るわず、5位阪神にも6ゲーム差をつけられた最下位。再建を託された古葉竹識監督だったが、志半ばで退任となった。対巨人は5勝21敗。まさに「困ったときの横浜大洋銀行」だった。

 巨人の二軍監督だった須藤豊が新監督となった90年は、5月上旬に首位に。最終的には3位だったが、首位打者にパチョレック、2位に高木豊。3年目の左腕・野村弘樹が11勝と明るい兆しはあった。翌91年も前年の勢いのまま5月序盤には首位も5位に。守護神・遠藤一彦の不振で新ストッパーに指名した2年目の佐々木主浩は6勝17セーブと適性を発揮した。チーム打率はリーグ最高の.269も本塁打は最低の66だった。

 92年は前半最下位で、5月上旬は須藤監督が突然の休養宣言。しかし江尻亮新監督の下、若手が伸びた後半戦は“大洋旋風”を起こし、「後半戦最強のチーム」とも言われた。チームは5位ながら打点王にシーツ、最優秀防御率に盛田幸妃、最優秀救援投手に佐々木主浩。シーズン後、球団は地元ファンとともにあるべきと「横浜ベイスターズ」に名前が変わった。

 新生ベイスターズは近藤昭仁監督が指揮を執ったが、5位。ブラッグスの29試合連続安打、ローズが打点王と新助っ人が活躍した。翌94年も一度もAクラスに浮上することなく最下位。FAで駒田徳広が加入し、打線はまずまずだったが、投手陣が振るわず「54試合連続完投なし」の日本記録も作ってしまった。優勝の巨人に15勝11敗の勝ち越しがわずかな光明だった。95年は4位ながら16年ぶりの勝率5割超え。打線ではローズ、石井琢朗、波留敏夫らがよく打ち、佐々木が2度目の最優秀救援投手に輝く。

 96年は大矢明彦が監督に就任し、好スタートを切る。4月は3勝の斎藤隆、20打点の佐伯貴弘が月間MVP。しかし、その後、急失速で5位に終わった。収穫は8年目にして正捕手の座をつかんだ谷繁元信の成長だ。翌97年は6月末、首位ヤクルトに14ゲーム差の5位だったが、そこから大躍進。41セーブポイントを挙げた大魔神・佐々木の活躍もあって8月は20勝6敗。一時は首位ヤクルトに2.5ゲーム差まで迫った。最終的には球団史上2位の72勝をマークし、18年ぶりの2位。鈴木尚典が首位打者となっている。

 大矢監督の退任で権藤博監督が就任。一番・石井琢、二番・波留、三番・鈴木尚、四番・ローズ、五番・駒田と続く打線は、マシンガン打線とも言われ、打ち出すと止まらなかった。投手陣では先発に物足りなさもあったが、佐々木を軸とするリリーフ陣は鉄壁。38年ぶりのリーグ優勝を飾ると、日本シリーズでも西武を下し、日本一。横浜の街は沸きに沸いた。

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最終更新:5/2(木) 19:24
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