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【平成オリックス年代記】勇者から青波、猛牛……波乱の歴史の中で光る連覇

4/26(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

平成元年、阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスに変わってスタートし、1991年に神戸移転とともにオリックス・ブルーウェーブに。さらに2005年には近鉄と合併し、オリックス・バファローズとなった。グラウンド外での激動の中で、イチローを軸とした95、96年の連覇はまばゆい光を放っている。

「がんばろうKOBE」で95年リーグV、96年日本一

 平成元年、1989年は期せずして阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスになった初年度だった。開幕直後から8連勝。開幕5試合連続本塁打のブーマーを軸に松永浩美、藤井康雄、さらに南海から移籍の門田博光が大当たり。一時は独走でV街道を走るも、投手陣の不安定さもあって、2位に終わった。ドライチだったパンチこと、佐藤和弘のユニークなトークもインパクト大だった。90年も「ブルーサンダー打線」の破壊力は変わらず、186本塁打、690得点はリーグトップ。翌年から本拠地を西宮からグリーンスタジアム神戸に移転し、愛称もファンから公募したブルーウェーブにすることを決めた。

 阪急時代から継続して指揮を執っていた上田利治監督から巨人OBの土井正三が監督に代わったのが、91年。大技主体の野球からスモールベースボールへの変換を図ったが、必ずしも成功したとは言えない。星野伸之が16勝、新人の長谷川滋利が12勝で新人王。打者では、わずかの差で松永が首位打者を逃した。92年も3位。ただ、1位に18ゲーム差はいただけない。さらに土井監督3年目の93年も3位。松永とのトレードで阪神から加わった右腕・野田浩司が17勝を挙げ、近鉄・野茂英雄とタイで最多勝を獲得した。土井監督は3年連続V逸の責任を取って退任。

 仰木彬監督1年目、94年は登録名を鈴木一朗から変えたイチローが主役だった。驚異的なペースでヒットを積み重ね、史上初の200安打も単なる通過点にし、210安打まで伸ばした。先発オーダーはシーズンで121通りと、自在の采配を駆使した仰木マジックも光った。

 95年は1月17日の阪神・淡路大震災で本拠地・神戸が大きな被害を受けた。チームもスタートダッシュに失敗したが、5月から調子を上げると、6月に大型連勝を繰り返し、独走態勢を固めた。アベレージに加え、長打力も増し、三冠王にも迫ったイチローのバットも大きかったが、鈴木平から野村貴仁、2年目のクローザー、平井正史につなぐ勝利の方程式は安定感があった。40歳の佐藤義則がノーヒットノーラン、野田の1試合19奪三振もあった。日本シリーズでは、野村克也監督率いるヤクルトと対戦。イチローを封じられ、敗退。

 96年は前半戦こそ日本ハムの後塵を拝したが、8月半ばから猛スパート。マジック1となった神戸での日本ハム戦は、延長10回、イチローのサヨナラ二塁打で優勝が決定した。イチローは打率.356で3年連続首位打者。ニールは本塁打王、打点王、星野伸之は10年連続2ケタ勝利となる13勝を挙げた。日本シリーズでは劇的なメークドラマで勝ち上がった巨人を4勝1敗で撃破。胴上げは、またも神戸だった。

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最終更新:5/2(木) 19:24
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