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広島OB 平成カープ物語 野村謙二郎が語る忘れじの91年祝勝会。

4/26(金) 6:03配信

広島アスリートマガジン

平成の幕開けと同時にプロ野球選手生活をスタートした野村謙二郎氏。
選手時代は平成のプロ野球界を代表する遊撃手として輝かしい実績を残し、監督としてはカープを初のクライマックス・シリーズに導いた。数々の栄光と低迷を体感した野村氏に、平成カープの思い出を語ってもらった。


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─ 現役時代に「メジャーリーグのように球場を地元チームカラーに染めてみたい」と口にされることもありました。現在マツダスタジアムは連日、赤に染まって満員の日々が続いています。この光景をどのように感じられていますか。

「私はマツダスタジアムになってからは監督の経験はあっても選手としてプレーをしたことはありません。ですが、連日満員で赤に染まっている中でプレーできている今のカープの選手は本当に幸せですよね。そしてファンの方々は『赤いユニホームを着て、何かカープグッズを身につけて球場に行く』ということが当たり前になっています。これは私からすると、現役時代は『そうなってほしい』という気持ちはありましたが、なかなかそうはいきませんでした。ですが、ボールパークというテーマを元に進化し続けているマツダスタジアム、カープ球団の努力、そして何よりチームが強くなったこともあって、今の光景があるのだと思います」


─ 平成時代の間で、野村さんが個人的に印象に残っている試合を挙げるならば、どの試合になるでしょうか?

「試合以外の場面になりますが、選手時代の91年に旧広島市民球場で行ったグラウンド内でのビールかけ、監督時代に初めてクライマックス・シリーズに臨んだときに見た、半分赤く染まった甲子園のスタンド。この2つのシーンは今でも忘れることができません。
旧広島市民球場のグラウンド内での祝勝会ですが、あのときはダブルヘッダーの第1戦目に負けてしまい、ナイターの2戦目でリーグ優勝を決めることができ、その直後にお客さんを入れたまま、グラウンドでビールかけを行いました。優勝した喜びというものを、ずっと応援し続けていただいたカープファンのみなさんの前で、一緒になって分かち合うことができたというのは、この先もなかなかない出来事なのではないか、そう思うほど私の中で印象に残っているシーンですね。
また、監督時代の2013年に初めてCSに臨んだ甲子園球場での阪神戦ですが、いつもは阪神ファンが大半を占めているあの甲子園球場のスタンドが半分真っ赤、半分黄色に染まっていた光景も忘れられません。
敵地にも関わらずあのように赤で染まるスタンドというのは他球団ではないと思いましたし、今思い出してみても震えがくるくらいです。
今の選手からしたら、スタンドが真っ赤に染まっているのは当たり前のようになっていますが、私は選手時代にお客さんが入らない状況のスタンドの風景を知っているだけに印象的でした。ましてや昔は甲子園球場なんて本当にカープファンが少なかった訳ですからね」




(広島アスリートマガジン2019年5月号から一部抜粋・続きは本誌にて掲載)


▼ 野村謙二郎(のむらけんじろう)
1966年9月19日生、大分県出身。
88年ドラフト1位で広島入団。平成元年と共ににプロ1年目を迎え、プロ2年目にはショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は若きチームリーダーとして初の打率3割となる.324をマークし、2年連続盗塁王に輝くなど優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成するなど、走攻守三拍子揃った内野手として長年活躍。2000安打を達成した05年限りで引退。10年に広島監督に就任し、13年にはチームを初のCSに導き、後に3連覇を果たすチームの主軸を多数育成してきた。現在はプロ野球解説者として活躍中。


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広島アスリートマガジン編集部

最終更新:4/26(金) 6:03
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