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昭和の戦争は避けられなかったのか? 永田鉄山、石原莞爾、武藤章…陸軍の戦略構想

4/26(金) 12:10配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

なぜ、昭和の戦争は避けられなかったのか。現在発売中の月刊誌『歴史街道』2019年5月号で、名古屋大学名誉教授の川田稔氏は、陸軍の戦略構想に着目して、対米戦にいたる過程を論じている。永田鉄山、石原莞爾、武藤章ら陸軍を主導した軍人たち、それぞれの戦略構想から浮かび上がるものとは。

ドイツを火種に再び大戦が起こる

昭和の陸軍は、「明確な国家構想を持たぬまま、無謀な戦争に突入した」と語られることがある。
しかし、陸軍は何の戦略構想も持たなかったわけではない。本稿では、陸軍の戦略構想を軸に、満洲事変、日中戦争、そして太平洋戦争へと至った過程を明らかにしていきたい。
陸軍の戦略を語るうえで欠くことのできないのが、大正7年(1918)に終結した第一次世界大戦である。
この戦争では、民間人も合わせると2千万人近い死者が出た。このような戦争を繰り返せば、人類そのものの運命が破壊されてしまう。そのような考えのもと、ヨーロッパを中心として、再び世界大戦を起こさぬよう、国際協調の流れが生まれてくる。
この時、次の大戦の発火点になりうると危惧されたのが、ヨーロッパとアジア、とりわけドイツと中国であった。
列強の利害が錯綜する中国は、「東洋のバルカン」とも言われ、この地の安定が、東アジアの平和維持に重要だとみなされた。
そこで、日本、アメリカ、イギリスが中心となり、「九カ国条約」が結ばれる。ようするに、中国をこれ以上、列強の勢力下に取り込まないという取り決めであった。
この条約を中心とする東アジアの協調体制を「ワシントン体制」といい、日本の政党政治も、その国際協調の流れを支持し、それによって世界大戦を防止しようとする。
ところが、「次の世界大戦は、止められない」と考える者たちがいた。それが、永田鉄山を中心とする陸軍の中堅将校たちで、彼らは後に一夕会を結成する。
永田は将来的に、ドイツを火種として、ヨーロッパで再び大戦が起きると見ていた。
というのも、第一次世界大戦後にヨーロッパで成立した「ヴェルサイユ体制」によって、ドイツは軍備制限や高額の賠償金を課され、国内で不満が高まっていた。その一方ドイツの工業地帯は健在で、国力そのものは落ちていない。となると、やがて国力を充実させたドイツは、実力で再興を図ろうとするだろう。
ヨーロッパで戦争が起きれば、列強の利害が絡み合うアジアにも飛び火する。好むと好まざるにかかわらず、日本は戦争に巻き込まれる……。
これが、永田の見立てであった。しかも、第一次世界大戦をヨーロッパで目の当たりにした永田は、次の大戦は必ず、国家総力戦になると見込んでいた。永田だけでなく、海外の多くの軍事関係者も同じように見ていた。
そういう永田からすると、国際連盟を中心とするワシントン体制とヴェルサイユ体制で平和を維持できるという、政党政治側の考えは甘いものに見えた。
政党政治のもとでは様々な利害調整が必要となり、時間がかかってしまう。次の大戦に備え、国家総力戦の準備が急務だ。そのためには、軍人が政治を動かしていかなければならない。これこそが、永田の考えであった。

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最終更新:4/26(金) 12:45
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