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“身体は死んでも”人は生きている? イェール大学教授が語る「死の謎」

4/26(金) 11:58配信

PHP Online 衆知

<<アメリカの名門イェール大学で際立って人気を集めている教授がいる。それがシェリー・ケーガン氏。その講義テーマは「死」。

死とは何か、人は死ぬとどうなるのか、死ぬと孤独になるのかーー。生者が「死」を考察することで、今ある「生」のあり方を考えさせるその授業は、受講希望者が後を絶たない。

その人気講義をまとめた著書「DEATH」の日本向け縮約版である『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』より、世界最高峰の授業の一端をここで紹介する。

※本稿はシェリー・ケーガン著『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』(文響社刊、柴田裕之訳)より一部抜粋・編集したものです。

人はいつ「死んだ」と言えるのか?

物理主義者によれば、人間とは正常に機能している身体にすぎないという。考え、感じ、意思疎通することが可能で、愛したり計画を立てたりでき、理性と自己意識を持っている身体なのだ。

これまで私がときどき使ってきた言葉で表せば、「P機能(パーソン機能)をしている」身体ということになる。

もしこの考え方を受け容れるとしたら、死そのものについては何と言うべきなのか? 物理主義者の説に従ったとき、死ぬとはどういうことになるのか? この疑問に目を向けてみたい。

そして、この疑問に迫るには、それと密接に関連した疑問について考えてみると良い。すなわち、人間はいつ死ぬのかという疑問だ。

基本的な答えは、単純そのものに見える。少なくとも、おおまかな話、物理主義者はこう言うべきだろう。

人間は、身体がP機能を果たしている間は生きている、だから、その機能を果たさなくなったときに死ぬ――身体が壊れ始め、きちんと機能しなくなったときには、と。

実際それは、物理主義の観点に立った場合にはおおよそ正しい答えだと私には思える。だが、これから見ていくように、もう少し厳密に考える必要がある。

そのためには手始めに、こう問わなければならない。
死の瞬間を定義するにあたっては、どの機能が決定的に重要なのか?

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最終更新:4/26(金) 11:58
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