ここから本文です

「もし2人が共演していたら……」監督が明かす、幻に終わった宮沢りえと貴花田の“青春映画”

4/26(金) 6:00配信

文春オンライン

ハサミを持ったりえママ「好きに切っていいよ」

――お母さんの宮沢光子さんは現場に来ていましたか?

菅原 ずっと現場にいましたね。ただ、自分の娘を守ろうという気持ちだけでなく、この映画はどうしたら良くなるのだろうと、作品のことをしっかりと考えてくれていた人でした。映画の中で、りえ演じる中山ひとみが体育の先生に足をつかまれてジーンズが破けて、彼女の生の足が見える、というシーンがあったんです。ジーンズが破けた後の長さをどれぐらいにするか悩んでいたら、光子さんが衣装さんときて、「監督、好きに切っていいよ」とハサミを渡したのです。あんまりお尻が見えるほど短くなるのもよくないから、一番足が綺麗に見える長さで切ってもらいましたが、光子さんは「もっと短く切ってもいいのよ」と言っていました。作品の出来栄えを第一に考えてくれていてありがたかったですね。

――お母さんのプロデューサーとしての能力はこのときから既にあったんですね。

菅原 映画の撮影後もよくお会いしていたのですが、「若くて美しい時期は本当に短いのよ」とよくおっしゃっていた。それが後に『サンタフェ』という写真集になったのかなと思いました。決して、儲けようとか、売ろうとかそういうことではない。娘の一番綺麗なときを残してあげたいという親心だったと思います。才能のあるすばらしいお母さんで、あまりにも早くに亡くなったのが残念でならないですね。

――映画はヒットし、宮沢さんもその後、女優としての階段をのぼっていきました。

菅原 この世界に入るきっかけにもなった作品を作ったものですから、まず第一に彼女には幸せな人生を歩んで欲しいという気持ちが強いです。映画女優であれ、舞台女優であれ、自分の行きたい道を選んで行ってもらいたい。それが女優の道であれば、私も嬉しいです。

――今後、宮沢さんとお仕事をすることは考えていらっしゃいますか?

菅原 私が映画を作る時は、まず作品があって、それに合う役者さんにお声掛けをする。そのため『ぼくらの七日間戦争』以降は、タイミングもあわず彼女にオファーする機会もなかったのですが、いまのりえに合う作品があったら、ぜひ仕事をしてみたいですね。

◆◆◆

 宮沢りえさんは1973年に生まれ、「一卵性親子」とも称された母・光子さんと共に歩んできました。1989年(平成元年)、16歳で連続ドラマの主演を果たし、人気絶頂の1991年11月に発売された『サンタフェ』は150万部を超すベストセラーとなり、社会現象に。貴花田関(当時)との婚約と破局、映画のドタキャンなどすったもんだもありましたが、2003年に『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞。蜷川幸雄さんや野田秀樹さんら名演出家らとの出会いもあり、その後、彼女は舞台・映画女優としての道を進んで行きました。昨年はV6の森田剛さんとの結婚でも話題になり、今年9月公開の蜷川実花監督の『人間失格』にも出演しています。

 彼女はいかにして現在の地位に登りつめたのか。菅原さんほか、野田秀樹さん、瀬戸内寂聴さん、篠山紀信さんら、彼女に関わってきた人物たちの証言で半生を辿った、ノンフィクション作家・石井妙子さんによる特別読み物「彷徨える平成の女神」は、月刊『文藝春秋』5月号に掲載されているので、ぜひそちらも併せてお読みください。

「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年5月号

3/3ページ

最終更新:4/26(金) 9:15
文春オンライン

記事提供社からのご案内(外部サイト)

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事