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「好きじゃなくなった離婚」を30代で選んだ女性が21年後に思うこと

4/26(金) 14:01配信

現代ビジネス

 結婚や離婚の取材を長年続けているライターの上條まゆみさん。「子どもがいる」ことで離婚に踏み切れなかったり、つらさを抱えていたりする人の多さに直面し、そこからどうやったら光が見えるのかを探るために、具体的な例をルポしていく。

 今回は30代前半で未就学児だった二人の娘を連れて離婚した渡辺晴子さん(仮名・56歳)。暴力があったわけではない。離婚しなかったらどうなっただろう、とも思う。そんな離婚について考えてみたい。

ごく普通の家族だった

 渡辺晴子さんは21年前、30代の前半で離婚した。当時、娘は6歳と2歳。

 「ちょうど上の子が小学校に入学する直前でした。入学してから苗字が変わるって、子どもには大変じゃないですか。だから、離婚しようかとなったとき、じゃあそれまでに、と急いでしまった部分はあります」

 晴子さんは専業主婦をしていたが、実家が商売をしており、帰れる家も仕事もあったことが離婚のハードルを低くした。2人の娘の親権は当然のように晴子さんがもち、実家の持ちビルの2階に入った。

 離婚の理由は、性格の不一致、つまり「好きじゃなくなった」。24歳のとき、知人の紹介で知り合った元夫は5歳年上で、そのころとしては互いに結婚適齢期。初めから結婚を意識して付き合い、1年ほど経ったところで「そろそろ……」と結婚した。女性は「クリスマスケーキ」、つまり25歳までに結婚しなければ売れ残りと言われていた時代だった。

 結婚してから元夫は、勤めていた不動産屋を辞めてスーパー経営を始めた。1階がスーパーで2階が住まい。朝昼晩とも食事が一緒という生活に息がつまり、晴子さんの希望で住まいだけ別の場所に移した。その後、2人の娘に恵まれた。

 「とくに仲が良くも悪くもなく、ごく普通の家族だったと思います。父親としても、頼めば子どもの面倒を見てくれましたし、大きな不満はありませんでした」

母亡きあとに父のケアを反対され

 一方で、生活の端々で性格の不一致を感じてもいた。休日には家族で出かけたい晴子さんと、「混んでいるから」「面倒だから」と家に居たがる元夫。事あるごとに「嫁にもらったのだから」と口にする義両親に異を唱えないのも、一人娘で苦労なく育った晴子さんには鬱陶しかった。

 はっきりと嫌になったのは、晴子さんの母親がクモ膜下出血で急死してからだ。1人残された父親は昭和1桁生まれで、家事は一切できない。突然、連れ合いを亡くして気弱にもなっている。そんな父親が心配で、晴子さんは頻繁に実家に帰った。それが、義両親や元夫には気に入らなかった。「嫁に来たのに、まだ娘のつもりなのか」と言われ、「いや、一生娘だから」と、カッとなった。

 「実はそのころ、私たち夫婦は家を新築中でした。すでに上棟式もすませ、後はできあがりを楽しみにしている段階だったのですが、母の急死でそこに住みたいという気持ちが失せてしまったんです。そもそも家を建てるか私の実家の持ちビルに入るか迷ったうえでの選択だったので、事情が変わった以上、もう一度、実家に入ることを検討してほしいと元夫に言ったら、当たり前かもしれませんが大反対されて……」

 当時は視野が狭くなっていて、今離婚をしなければ父親の面倒を見られない、と思い込んでしまった。養育費はいらない、夫の事業用に晴子さん個人の貯金から貸していた200万円も返さなくていい、だから離婚してほしい。そう申し出た晴子さんに、元夫は「そこまで言うなら」と、すんなり離婚届に判を押した。

 「すごい好きとか大恋愛というのではなかったので、関係が崩れたときに初心に戻れませんでした。今にして思えば、離婚するほどのことだったのかな、と。実家に帰るという選択肢がなければ、別れていなかった。我慢がきかなかったな、と思います」

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最終更新:4/26(金) 17:30
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