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「摂食障害」に陥った31歳女性を一瞬で回復させた「意外なひと言」

4/26(金) 11:01配信

デイリー新潮

 2018年に東洋経済オンラインで最も記事が読まれ、新書『発達障害グレーゾーン』が現在5刷の気鋭のライター・姫野桂さんが「女性の生きづらさ」について綴る連載「『普通の女子』になれなかった私へ」待望の第4回です。今回のテーマは「摂食障害」。自身の摂食障害経験を振り返ります。

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就活がうまくいかず10kg痩せる

 だいたいの人は1日3度食事を摂る。生きるために食べて栄養を吸収し、エネルギーに変えて活動する。しかし、食べたくない、食べたいけど食べられない、食べたくないのに異常な量を食べてしまうという心の障害「摂食障害」に悩む人がいる。

 一時期私は摂食障害について専門医を取材したり、セミナーを受けたりしていた。私自身、摂食障害を患う当事者であったからだ。主治医からは「大きく括ると食への依存なので、依存症の一種」と言われ、自立支援医療制度を受けるためにもらった診断書には「食行動への異常」の欄に丸がつけられていた。

 思い返してみると私は幼い頃、食べることが大好きだった。保育園に入る前は、親が仕事中、親戚の家に預けられていた。親戚の子どもたちは食が細かったり偏食の子が多く、そんななか好き嫌いなく食べる私は褒められた。祖父母も食欲旺盛な私にどんどん食べ物を勧めた。

 小学4年生あたりから自分の体重が他の女子より重いのではないかと気になり始めた。しかし、当時は身長も高い方だったので(その後すぐに身長の伸びが止まったので、大人になった今は小さい方)その分の重さだと信じていた。
 
 しかし、中高になるとさすがに細い女子に憧れ始めた。ティーン雑誌で読モの体重が公開されているページでは38kgの子もいた。当時の私は勉強や人間関係、そして家族関係のストレスから食に走っていた。朝食を食べ、昼は特大サイズのお弁当を食べ、学校が終わるとコンビニで菓子パンを買って食べ、夕飯を食べた後はデザートに何かしらのお菓子を食べていた。

 しかも、父親から「また食いよるんか」と大食いを笑われるので、親の前で食べないよう、隠れておにぎりを貪っていたこともあった。当時、陸上部でほぼ毎日激しい運動をし、片道7kmの道のりを自転車通学もしていたが、身長154cmで体重は54kgもあった。UNIQLOにデニムを買いに行って試着するも入らず、次から次により大きいサイズを持ってきてようやく入って涙目になってしまったこともある。

 食べなければ痩せる。でも、私には制御できなかった。泣きながらお菓子を口に詰め込んでいた。

「思春期は誰でも太る時期。二十歳を過ぎれば自然と痩せるよ」

 母はそう言ったが、二十歳が近づいても痩せる気配は一向になかった。

 そんな私が1ヶ月で10kg近く体重が落ちたのは21歳のとき。リーマンショックの影響で就活がうまくいかず、内定がなかなか出ない。かつ、自分のやりたい仕事もわからない。面接では自分を否定された気になり、その企業で働く自分の姿も想像がつかない。

 いきなり食欲がなくなった。1日、「ひもQ」というグミか「たべっ子どうぶつ」というビスケット、そして大量の発泡酒で過ごすことが多くなった。みるみる体重が落ち、44kgになった。

 驚いた反面、痩せたことがとてもうれしかった。昔からずっと憧れていた体型を手に入れられた。痩せた体にフリフリのバンギャルファッションに身を包んだ姿を全身鏡に写してガラケーで写真を撮って「今日のコーデ」という名目でブログにアップし、恍惚とした気分でそれを眺めた。

 短期間で体重が落ちてしまい、就活用のスーツはブカブカになって買い直しに。その後ようやくとある企業から内定が出て、私の拒食は落ち着いたように思えた。食事もそれなりに摂るようになり、体重も45~47kgあたりをウロウロするくらいまで増えた。健康的な体重にはなれたが、残念な気持ちもあった。

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最終更新:5/16(木) 11:55
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