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性転換手術の第一人者は「利他の鏡」 結論を出したがる世の中と、徒然なるままを求めた医師【ブックレビュー】

5/6(月) 7:00配信

FINDERS

「法律を無視してでも性転換手術を」今は亡き医師・和田耕治の献身

性同一性障害という言葉をはじめて聞いたのはいつだろうか。上戸彩が出演した時期のドラマ『3年B組金八先生』(2001年~2002年放送)だという方は多いのではないだろうか。ちょうどその頃に、性転換(性別適合)手術の第一人者・和田耕治は、ある死亡事故の容疑者としてメディアで全国的に報じられた。その後、2007年に彼は自身の病院内で急死した。和田耕治・深町公美子『ペニスカッター 性同一性障害を救った医師の物語』(方丈社)は、氏のパートナーだった深町公美子が、彼の知られざる功績をまとめあげた一冊だ。

本書の冒頭で「一番無名な有名人」と和田のことを称する著者は、「彼を無名のままにさせてはいけない」という使命感から、十年以上の時間をかけて膨大な資料を整理し、故人の言葉、自身の言葉、そして2人の息子の言葉も合わせて、それぞれの間を行き来する書簡のように本書を形作っている。

和田は、医師でありながらも「病気」というものにあまり興味がなく、病気を「治される側」の視点を特に強く持ち合わせていたという。また、文学を好み「本当は、医学部は文化系である」と口にしていたそうだ。

和田が医師として働き始めた1980年代当時の社会的背景を理解する上で、1960年代後半に起きた「ブルーボーイ事件」の存在は重要だ。十分な診察を行わずに性転換手術を行った産婦人科医が1965年に優生保護法・麻薬取締法違反で逮捕され、1969年に有罪判決を受けた。この事件の影響で、1990年代に入っても性転換手術はタブーだったという。そんな中、和田はリスクを承知で施術にあたっていた。

「法律や社会が許さないといっても、そんなものは無視してよい・たとえ罰せられても医師として覚悟の上だ・国や法律ができる前から医療は存在してるんだ」というのが私の信念です。(P17)

パンクロッカーが如くこのように言ってみるのは簡単だが、実際に言動を一致させるのは相当な勇気がないと不可能だっただろう。しかも患者の命がかかった手術である。その信念はどのように形成されたのだろうか。

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最終更新:5/6(月) 7:00
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