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尾崎豊もチェッカーズもトシちゃんも好き!80年代の邦楽シーン【西寺郷太のPop’n Soulを探して】

5/11(土) 10:00配信

FINDERS

(この記事は2018年10月24日にFINDERSにて掲載されたものです)

ノーナ・リーヴス西寺郷太さんとFINDERS編集長米田の音楽対談連載第2回は、尾崎豊を皮切りにチェッカーズ、田原俊彦と縦横無尽に1980年代のポップシーンについて語り合います。意外な組み合わせのこの3組の共通点とは?

ジャンルを越えて惹きつけられる「天才のワークス」

米田:郷太さんって、マイケルであったりプリンスであったり、独自の分析力でその魅力を伝えてきたじゃないですか。でも意外なところで、去年出た没後25年を記念した尾崎豊のムック本『尾崎豊 Forget Me Not』に寄稿していた文章もおもしろくて。僕ね、尾崎の大ファンで、護国寺で行われた葬儀にも行ったし、亡くなった次の日に尾崎が住んでた町屋のマンションにも行ったぐらいなんですよ。

西寺:そうなんですか!

米田:町屋のマンションの前に行ったら、泣き崩れているファンの女の子がたくさんいて。僕がギターケースを抱えていたら、テレビ局の人に「何か弾いてもらません?」って言われまして。で、「シェリー」を弾いて歌ったんですけど、それが次の日の朝のワイドショーに映ったらしく。

西寺:前回の僕のU2話に負けないエピソードじゃないですか(笑)。

米田:(笑)。でも、僕はオンエアーを観てないんです。なぜ知ったかというと、次の日、電車に乗ってたら「今朝のテレビで尾崎歌ってたやつ、『15の夜』でも『17歳の地図』でもなくて『シェリー』を演ってたところがシブいよな」って2人組の声が後ろから聞こえたんですよ。

西寺:すごいですね。尾崎豊さんは周りに何人か熱狂的なファンがいたかな?って感じの存在で。やっぱり僕より少し上の世代に響いていたって気もしますね。今、思い出して考えれば僕が暮らしていた京都の中学生、高校生にはあんまり伝わってなかった気もしますね。やっぱりライブを観るチャンスが東京と地方って圧倒的に差がありますしね。ネットのない時代ですから。東京近郊の10代は実際にライヴに行ける確率も全然高いので熱量がやっぱり違うなぁと。あと、その後はバンドブーム全盛で、ソロのシンガーソングライターは劣勢だったイメージもあります。だからこそそんなニュートラルな立場の僕がシビれた尾崎さんの“天才性”っていうのを語ることで、別の角度で彼の魅力が伝わることもあるんじゃないかと思って、あのムック本の原稿を引き受けたんですよ。

米田:なるほど。

西寺:「西寺は本当に尾崎のファンなんか?」「西寺郷太は何にでも顔出すなあ」みたいなレビューや反応も目にしたんですけど、いやいや、そこが良くない?っていう話なんですよね(笑)。シンパとして、大ファンとして書いてる人ばかりだったらそれだけの本だけど。小山田圭吾も小沢健二も尾崎豊も全然違うけど、それぞれめちゃくちゃ凄いから圧倒されましたっていう人が再検証に加わっても全然いいと思うんですよね。

米田:ええ、僕以外、周りにはその3人が同時に好きな人なんか全然いないっす(笑)。

西寺:でも、それすごくわかりますよ。とは言え、僕がフリッパーズ・ギターのお2人を好きになったのも1995年なんで、解散してそれぞれがソロ活動で爆発されてからの超後追いですけどね。要は米田さんも僕も単純に「天才のワークスが好き」ってことなんですよね。音楽のジャンルじゃなくて。

米田:そう、そうなんですよ!

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最終更新:5/11(土) 10:00
FINDERS

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