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100年前の反日運動から読み解く「中国の矛盾」と「日本の欠陥」

5/12(日) 12:33配信

Wedge

「反日感情」を生む中国人への侮蔑

 若者は「排日の本場」でもあった天津における経験を綴る。

 「排日の思想が第一に具体化して現はれるのは排日貨であり、隨つて排日貨が貿易港で熾に行はれ、特に日本の物資を多額に輸入し、日本と経済上最も密接な関係ある港にしては当然である」。そこで南の上海と並んで北の天津が「常に排日及排日貨の本場となるのは已むを得ない」。加えて「上海天津辺の支那学生は、その良否は兎に角、他都市に比して所謂新思想に触れるものが多い上に、米国から帰朝した留学生等はReturned student associationを設けて団結し、盛んに親米を唱へ」ている。加えて「裏面には之を操る糸があるのであるから、其の排日運動及宣伝に、根底に持久力あるを確知することが出来る」。

 いわば一連の反日運動の背後には、親米派留学生を介してのアメリカの工作が見え隠れするというのだ。ならば「我国に於ても之を永く現状に放任することなく速に対抗策を講じなければ後日に悔を残すであろうと思われる」。だが、その後の推移を見るに、やはり日本は「速に対抗策を講じ」なかったのだろう。

 若者は在天津日本総領事館で招待宴に列する。席上、船津総領事は「支那人は『支那人』と呼ばるゝことを非常に嫌ふと云ふことを近頃漸やく知るに至つた。それが、何故かは知らぬが、丁度日本人が『ジヤツプ』、米國人が『ヤンキー』と云はれる樣に、侮辱の代名詞に聞えて、非常に惡感を催ふすそうだから、我々は中國人、又は支那の人と呼ぶことにして居る」と語った。ということは、当時、「支那人は『支那人』と呼ばるゝことを非常に嫌ふと云ふこと」に気づき、「中國人、又は支那の人と呼ぶ」日本人がいたことになる。

 「一寸したことだが大に注意する必要がある」と結ばれた船津の挨拶に、若者は次のような感想を持った。

 「これは僕も初耳だ。しかも我が内地の状態を見ると、『支那人』どころか、大抵は『チャンコロ』『チャンチャン』の此上ない侮辱的な言葉で、彼等を迎へる者が多い。之れは日清戰爭などの結果として、國内に廣まり、今に及んで居るのであらうが、此一語が如何に日支親善を害して居るかを考ふる時、吾人は大に言葉を愼まなければならぬ。口は禍の門と云ふが如斯言葉を發する日本人は、大抵は中國人輕蔑の心裡を抱いて居る」。だから日本人と「接する中國人、殊に教育ある支那留學生の如きは極端に不快の念を植えつけられ、幾度かその言動を繰返さるゝ時は、遂には日本の凡てを嫌厭するに至り歸國の後は排日派の先鋒と化するに至るのは當然である」とした。そして最後に「僕は一人でも多くの國民が此點に注意せんことを望んでやまぬ」と呟く。

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最終更新:5/12(日) 12:33
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