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興福寺の最高位僧侶、アンチエイジングに走るのは悲しい姿

5/13(月) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 古都・奈良に、多くの人が説法を聞きに訪れる高僧がいる。平城京遷都を主導した藤原不比等が建立し、今年創建1300年を迎える興福寺の貫首(最高位の僧)・多川俊映師(72)である。その法話から一部を、特別に掲載する。

【写真】奈良・興福寺の美しい中金堂

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 アンチ・エイジングという言葉が流行っていますね。確かに若さとは素晴らしいものであり、「いつまでも若くありたい」という気持ちは理解できます。一方で、人間に限らず生き物は日々歳を取り、老いていく存在です。ですからアンチ・エイジングとは実は非科学的な話で、自然の法則に反している。

 老いには元来、「成熟」という意味が込められていました。しかし現代人はどうも、老いを「若さの喪失」としてしか捉えていないように思います。「老い」をマイナスだと考えている限り、高齢者は常に悩みにつきまとわれるでしょう。そしてそこには、苦しみも付随してくる。

 不老長寿は昔から人類の夢でした。「長寿」のほうは、医学の発展によってかなり達成されてきていますが、「不老」は長寿ほど進んでいません。介護の苦しみなど、いまや社会問題になっていますね。

 なまじ長寿が達成された分だけ、老いの苦しみが深刻化しているとも言えます。アンチ・エイジングがブームになるのも道理かもしれません。

 お釈迦様もかつて、人はなぜ皆、老いて病となり、死んでいかねばならないのかという「生老病死」の命題に悩み、そこから解放されようとして、王子の身分を捨てて出家します。けれどもお釈迦様が修行の結果にたどりついた結論とは、そういう人間の欲求や欲望とは、満たしてしまえばさらに大きく膨れあがるということでした。

「こうなりたい、ああなりたい」「あれが欲しい」という欲そのものを滅ぼさなければ、人間は救われないのです。

 現代社会とは、「モノの追求」にとらわれた場所です。サラリーマンの仕事というのも、その多くは「新しい物を開発し、製造して販売する」ことです。

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最終更新:5/13(月) 7:00
NEWS ポストセブン

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