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高橋雅裕 深海の底に沈んでいくクジラで輝いた名ワキ役/プロ野球1980年代の名選手

5/13(月) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

「守備率は10割まで高められる」

 持ち前のスピード、強肩、そして粘り強い性格がリーグ屈指の遊撃手へと成長させた。守備の基本や技術を教わったのが米田慶三郎コーチ。古葉監督の攻撃よりも守備を重視する、点を与えない野球が原点だ。

「僕は守れなかったらダメ。打率は3割まで、守備率は10割まで成功率を高められる」

 というのが信条だった。打撃ではスイッチヒッターにも挑戦。チームが大洋から横浜となった93年からは外野にも回って、常時4つのグラブを用意するようになった。翌94年には、いきなり言われて一塁へ。その場は外野用のグラブで対応し、のちにファーストミットを発注した。一塁に入ったのは通算11試合に終わったが、これでバッテリーを除く全ポジションをコンプリート。監督と折り合いが悪かった時期もあったものの、低迷を続けるチームを支え続けた。

 97年にロッテへ移籍してからもユーティリティーぶりは健在。内野、外野の控えからバント要員として新天地を支え続ける。そして99年オフに山本功児監督の要請で現役を引退して、指導者の道へと進んだ。

写真=BBM

週刊ベースボール

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最終更新:5/13(月) 16:03
週刊ベースボールONLINE

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