ここから本文です

期待と失望が交錯した民主党政権時代のメディアと政治を振り返る<「言葉」から見る平成政治史・第6回>

5/14(火) 15:30配信

HARBOR BUSINESS Online

メディアの中心がインターネットにシフト

 言論の流通を支える新しいメディアであるインターネットの普及とメディア環境はどうか。ブロードバンドの普及が一巡し、各通信キャリアはスマートフォンへのシフトを本格化させていった。東日本大震災をきっかけに、公的機関も広報のツールとして本格的に注目し、広告費を含めて日本のメディアの中心がいよいよインターネットを中心としたものに実体化し始めた。現在では国民的ツールとなったLINEの誕生も震災直後の2011年のことであった。

 インターネットの利用者は1億人手前でやや頭打ち、人口普及率でいうと80%程度といったあたりだ。この数字は少子高齢化が進む日本では、乳幼児や後期高齢者等を除く、ほぼ全ての人に概ねインターネットが普及したといえる。

 モバイル端末からのインターネットアクセスは今よりも低調だが、この後のスマートフォン普及によって爆発的に改善することになる。

政治もインターネット広報が本格化

 政治の世界でもインターネットを使ったキャンペーンが広がりを見せる。インターネットは選挙制度改革によって無党派層の支持獲得の重要性増大などとも関連しながら、「政治の言葉」にも影響を与えたと考えられる。

 1994年8月に当時の総理府が「首相官邸ホームページ」を開設し、各政党もホームページを用意するようになっていった。小泉内閣のもとで官邸広報手法の一環として、メールマガジンが準備され、当時の安倍官房副長官が編集長を務めている。

 そうはいっても、この時期の政治のネット利用はあくまで傍流であった。当時の公職選挙法はインターネットを使った選挙運動(以下、「ネット選挙」)を禁止していたからである。日本では選挙運動は「特定の選挙について、特定の候補者の当選をはかること(そのために相手候補者を当選させないことも含む)を目的に選挙人に働きかけること」とされている。それ以外の政治家の活動は政治活動と呼ばれる。

 日本ではポスター、ビラの大きさや枚数、証紙の貼り付けなどが要請され、定められた手法以外で選挙運動を行うことはできなかった。インターネットの普及と関心の高まりのなかで、政治での利用も模索されたが、旧自治省は当時の公選法に照らして選挙運動への利用については法改正が必要との見解を示していた。

 当時の民主党は挑戦者らしく2000年代を通して、ネット選挙の解禁を主張し、自民党は概ね否定的な立場だった。一般に現職政治家や与党は選挙制度改革や選挙区改正を好まない。たとえばこの間の参議院の選挙区の合併、いわゆる合区を巡る動きを見ると、強力な反発や巻き返しを招きがちである。合区問題はその後、最近の選挙制度改革の流れに反した議席増、比例特定枠の導入等を含んだ公選法改正という結末を迎えたことは記憶に新しい。
 このような状況を踏まえて、経済団体やIT業界などは繰り返しネット選挙の導入を主張し、当時の民主党も同調したが、結局ネット選挙の解禁は2013年の第2次安倍政権を待たねばならなかった。

2/4ページ

最終更新:5/14(火) 15:30
HARBOR BUSINESS Online

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事