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“セッター4年生”JT金子聖輝の誓い。「スパイカーには戻らない」

5/15(水) 1:01配信

月刊バレーボール&月刊バスケットボール

手応えと課題を感じた今年5月の黒鷲旗

 誰も平成の終わりを予想しなかった2016年1月、チームを春高バレー優勝に導いた東福岡高の主将兼エースは、高校卒業と同時にセッターへ転向。大学には進まず、JTサンダーズへ入団し、社会人の道を歩み始めた。

 それから、月日が経つこと4年。大学生で言えば4年生、最上級生になる年。令和時代の到来と共に開催された黒鷲旗のコートには、日本代表合宿への参加で不在の深津旭弘に代わり、JTサンダーズのメインセッターとして奮闘する金子聖輝の姿があった。

 黒鷲旗では、エドガー・トーマスや劉力賓ら強力な外国人選手と巧みな日本人選手の長所を生かしながら、基本に忠実な攻撃を展開した金子。初めは「少し無理をしてでもミドルブロッカーを使っていこう」と考えていたが、 “最初はシンプルでいいから、余裕が出てきたら自分らしさを出していこう”というヴコヴィッチ・ヴェセリン監督のアドバイスも受け、余裕を持って試合に臨むことができた。

 しかし、いったん自分の中で歯車がくるうと、変に考えすぎてしまう。決勝進出を懸けて戦ったパナソニックパンサーズとの準決勝戦では、両サイドの外国人選手の決定力に頼る中での“攻撃のスピード感”を要所で作り切れず、流れを引き戻せないまま一旦コートを去る場面も。

 令和初の公式戦は、金子にとって、いい感覚をつかめた分、課題も認識できた“よき修行の場”となった。

決して揺るがぬ覚悟

 セッターへの転向。それはもちろん、簡単なものではなかった。全てのプレーをオールマイティにこなす器用な金子だが、トップチームのセッターとなると、技術も知識も格が違う。また、JTサンダーズには深津ら経験豊富なセッターも在籍しており、リーグでの出場機会もそう簡単には巡ってこない。

 今のままで成長できるのか。もし大学に行っていればもっと経験を積めたかもしれない…。

 練習でも壁にぶち当たり、正直、いろいろ悩んだ時期もあった。それでも、ある思いだけは決して揺らぐことがなかったという。

 「セッターとしてやっていく、と決めたことを後悔したことはありません。もうスパイカーには戻らない。覚悟を持って取り組んでいます」(金子)

 それから、国体や黒鷲旗など、若手選手がメインで出場する試合で着々と経験を重ねた金子。日本代表のアンダーカテゴリーでも海外での試合経験を積み、日々の鍛錬の中でセッターとしての自信や知識、感覚を身につけていった。

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