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岩倉使節団:日本近代化の行方を探る世界一周の旅

5/16(木) 12:04配信

nippon.com

泉 三郎

明治維新が実現し、新国家の建設が始まって間もない1871年。新政府のリーダーや官僚、留学生が「新国家の青写真」を求めて海を渡った。この「岩倉使節団」の旅には100人以上が参加し、当時の世界情勢を目の当たりにした。

この150年の日本の歩みを顧みて感じるのは、3つの大きな時期に分かれて成功と失敗を体験してきたということだ。明治期の約50年は、初期近代化を成功させ、日露戦争にも勝利を収め、第1次世界大戦の勝ち組となって世界の五大国に上り詰めた最も目覚ましい時期だ。しかし、次の段階ではその成功に奢(おご)り高ぶり、軍事国家へと傾斜して大敗北を喫し亡国寸前になってしまう。そして占領下の屈辱に喘(あえ)ぎながらも辛うじて国体を維持して独立すると、第3段階では奇跡的な産業発展を遂げ世界第2位の経済大国にまでなった。

そして今日、長期低迷を続けると言われながらも世界第3位の国内総生産(GDP)を維持し、国民は平和で豊かな生活を享受している。こうした繁栄の礎となったのは、明治維新以降の近代化の成功であるのは言うまでもない。この日本近代化の起点にあったものは何か。それは明治初期に敢行された岩倉使節団の世界大旅行ではなかったか。

革命直後に首謀者3人が国を留守にして海外を回覧

1871年7月、明治新政府は300もの藩を廃して全国を統一する「廃藩置県」という無血革命に成功する。それは古代より続く「自然の摂理」を神の道とする大祭司・天皇の威光によって成し遂げられた。260年も継続した将軍国家からの大変身であり、封建制の解体である。そのわずか4カ月後に、革命の首謀者たる岩倉具視が特命全権大使、木戸孝允と大久保利通が副使となって、1年半にも及ぶ米欧視察の旅に出るのだ。革命直後、その立役者が3人もそろって海外に出掛け、新しい国づくりの青写真を求めて回覧した国がどこにあっただろうか。

しかも、この使節団には伊藤博文をはじめ次世代を担うエリート50人と若き留学生50人も随行させたのである。そこには、幕末以来、福沢諭吉や渋沢栄一らが進めてきた近代化に関する予備的調査の集大成を行おうという意図が込められていた。新国家の執行部に思ったことを即座に実行に移せる行動力がなかったら、このようなことはなし得なかっただろう。

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最終更新:5/16(木) 12:04
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