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パチスロとゲームにおぼれ…再起を賭けた男がラーメンで勝負

5/16(木) 11:01配信

SmartFLASH

 小学生のときに、父親の仕事の都合で6回転校した。そのたびに友達が変わった。早く友達になるために、クラスの子供たちがどんな話を好み、どんなことに興味があるのかを観察して分析した。

「人の心を読むまではいきませんが、つい考えてしまう」と話すのは、野沢賢司さん(43)だ。栃木県の宇都宮市で飲食関係の会社を経営している。しかし、20代のころは、無頼を地でいく生活だった。

「調理師免許が取れる高校を卒業し、栃木県内のホテルの和食部門に就職しました。『栃木の食の祭典』みたいなイベントが毎年あり、就職して2年めで最優秀賞を獲った。これまで最優秀賞を獲った料理の分析をして、結果から逆算することで、料理を形にしていきました。

 僕は次男で、兄が親から怒られているのをよく見ていて、同じことはしないように学んでいました。次男の特質ですね。だからなんでも分析と逆算をします」

 順調なスタートを切ったが、2年で辞めた。本格的な和食を追求したかったが、ホテルの方針と合わなかった。辞めてからは職に就かず、7年間パチスロ、3年間インターネットゲームに明け暮れる日々を送った。

「ホテルを辞めたとき、次に何をするかはまったく決めていませんでした。料理人だった19歳のとき、ホテルのウエイトレスだった、18歳の妻と出会いました。

 当時僕はサーフィンをやっていて、ボードを買うお金など40万円近くを、彼女から借りていた。それを返すために、パチンコ屋へ通うようになった。勝てる自信はあった。実際、1週間で借りたカネを全部返した。

 パチスロを仕事とは思っていなかったけど、たぶん1億円近くは稼いだ。浪費もしましたが、7年で2000万円ほど貯まりました」

 どうしてそんなに勝てたのか。

「勝つ方法は2つ。ひとつは確率論。メーカーが台の出荷時に設定した確率は、僕には分析できる。そのままなら勝てる。ただ店側が設定を変えてしまうと、勝てない。

 また、確率には6段階ほどあって、いい設定の台を見つける必要がある。店や店員のクセを見抜くようなものです。店は毎日台をいじるが、365日違うことはない。だいたい、3パターンぐらいしかない。それを見抜くんです」

 27歳のときにパチスロをやめた。毎日何をしているのかと、常に不安があり、人生を変えようと思ったからだ。しかしそれまでの人生で、結婚しても、子供ができても、生活を変えることができなかった。

 パチスロから足を洗おうと思って始めたのが、インターネットゲームだった。今度は、それに夢中になってしまう。「ほぼ3年間、家から出なかった。子供がいるのに最低」。蓄えはどんどん減った。

「2006年、僕が30歳になったときのこと。妻が3歳の子供を預けて働くからと、履歴書を書いていて、父親の職業欄で書く手がピタッと止まっていた。それで、『人生はただ待つだけでは変わらない、自分で変えよう』と思った。

 そして、下野市で『穂火』というラーメン屋を始めた。人生の転機でした。作り方がわからないのに、和食の経験があったので、好きなラーメンならできそうだという安易な考えもあった。

 でも、夢や希望と現実は大違い。お客さんになんて言われるか、毎日怖かった。2年ぐらいはそんな感じでした」

 しかし、周囲の人や客の応援があった。味の研究もした。2年後には、常に5、60人が並ぶ大繁盛店となった。

「流行を追う気持ちはなかった。お年寄りから子供までが食べられて、女性が一人でも入れる、地元の人に愛されるラーメン屋にしたいと思っていました」

 2009年に、「火の魂カンパニー」を設立した。現在は各種ラーメン店や餃子店などを栃木県内で展開するほか、製麺などの食品製造業も手がけている。

「成功している感覚はありません。収入面に限らず、従業員のみんなの人生が変わっていくような会社にしたい。ラーメンの仕事を通して、教育関係の会社も立ち上げたい。経験上、学校では教えてくれない大事なものがあると思う」

 野沢さんの波瀾万丈の人生経験から、人生が変わる学びを得る人も出てくることだろう。


(週刊FLASH 2019年5月7・14・21日合併号)

最終更新:5/16(木) 14:05
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