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東ドイツの「過去の克服」を描く『僕たちは希望という名の列車に乗った』

5/16(木) 19:52配信

ニューズウィーク日本版

──ドイツ国民の大多数がヒトラーを支持したという負の遺産に対してどのような姿勢をとったのか......

以前コラムで取り上げたラース・クラウメ監督のドイツ映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(16)は、戦後の西ドイツでナチスという負の遺産と正面から向き合った実在の検事フリッツ・バウアーに光をあてた作品だった。「Der Staat gegen Fr itz Bauer(国家対フリッツ・バウアー)」という原題が示唆するように、そこでは国家とバウアーという個人の戦いが描き出された。

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やはり実話に基づくクラウメの新作『僕たちは希望という名の列車に乗った』(5月17日公開)からも、戦後の東ドイツを舞台に同様の図式が見えてくる。

■ 1956年東ドイツ、ナチス時代にまでさかのぼり、歴史が見直される

ベルリンの壁が建設される5年前の1956年。東ドイツの高校に通うクルトとテオは、クルトの祖父の墓参りのために訪れた西ベルリンの映画館で、ハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目の当たりにする。ソ連の支配に反感を持つふたりは、この事件に刺激され、級友たちに呼びかけて授業中に2分間の黙祷を行う。

教師は“社会主義国家への反逆”とみなされるその行為に憤慨し、やがて郡学務局員が調査に入る。さらに、国民教育大臣までもが直々に教室に押しかけ、一週間以内に黙祷の首謀者を教えなければ、全員を卒業試験から締め出すと宣告する。生徒たちは、仲間を密告するか、信念を貫いて大学進学を諦め、労働者として生きるのかの二者択一を迫られる。

クラウメの2作品の共通点は、国家と個人の戦いということだけではない。そこにはもっと深いテーマが埋め込まれている。

本作では、当局がどんな手を使ってでも首謀者を特定しようとする。郡学務局員は生徒たちと個別に面談し、彼らが知らない親たちの秘密を暴露し、動揺を誘い、脅迫し、精神的に追い詰めていく。その結果、過去が重要な位置を占め、ナチスの時代にまでさかのぼり、歴史が見直されることになる。

■ ドイツ国民の大多数がヒトラーを支持したという前提から

2作品の出発点は同じところにある。ロバート・ジェラテリーが『ヒトラーを支持したドイツ国民』で明らかにしているように、ドイツ国民の圧倒的大多数がヒトラーを支持したという事実は争えない。それが大前提になる。

では、ヒトラー独裁の後に誕生した両ドイツ国家は、そんな負の遺産に対してどのような姿勢をとったのか。

以前にも書いているように、西ドイツでは、人々が、ヒトラーという悪魔と、悪魔に利用された人の好いドイツ人の間に一線を引くことで過去を清算しようとした。アデナウアー政権のもとで経済復興が優先され、脱ナチ化の取り組みは失敗し、連合国によって排斥された人々が復権するなど再ナチ化が進行していた。だからバウアーは国家と対決しなければならなくなる。

これに対して、東ドイツでも、西とは異なるかたちで体制の正当化が行われていた。ペーター・ライヒェルの『ドイツ 過去の克服』によれば、ソ連の影響が濃くなるに従って、反ファシズムという国是は形骸化していった。歴史は歪曲され、ヒトラー政府による権力掌握が、対ソ侵略戦争の準備とドイツ共産党指揮下でのプロレタリア革命の防禦を追及するものであったと、主張された。

そして、以下のような記述がつづく。

「このような見方からすれば、ナチ体制の反共産主義がその人種的反ユダヤ主義よりはるかに重要に見えたのも当然であったし、とくにドイツ労働者階級がヒトラー独裁の犠牲者に仕立て上げられ、ドイツ民族はヒトラーに欺かれ、利用されたことになる。この見方には、東ドイツ住民の責任を軽減する効果が大いにあった。この点は、東ドイツの歴史理論がファシズムを資本主義の普遍的な発展問題として解釈することによってさらに強められた」

■ 若者とその親たちが、切迫した状況のなかで過去と向き合う

本作はそんな背景を踏まえてみると、人物の設定がより興味深くなる。クラウメは、黙祷を行った生徒のなかで、冒頭で触れたテオとクルト、そしてもうひとりのエリックという3人の若者に注目し、それぞれの親との関係を掘り下げていく。

テオは労働者の家庭で育ち、父親は製鋼所で働いている。国民教育大臣と面識があったその父親は、息子を守るために直談判に行くが、彼らのやりとりからは、父親が数年前にある事件に関わり、不満を抱えた労働者とみなされていることがわかる。そんな父親とテオの関係は複雑だ。父親には体制に反抗する息子の気持ちがわかるが、家族の悲願である進学の機会を失ってほしくない。やがてテオは、父親が劣悪な環境で酷使されていることを知る。

クルトの父親は市議会議長で、息子が西ベルリンに墓参りに行くことを快く思っていない。そこに眠るのは母方の祖父で、彼が武装親衛隊だったからだ。父親の立場を考えればその気持ちもわからないではないが、彼はそのことで母親まで蔑視している。そこには、悪との間に一線を引くことで自己を正当化しようとする姿勢が垣間見える。そんな家族の関係はやがて崩れていくが、そこに絡んでくるのがもうひとりの若者の存在だ。

エリックは体制寄りで、級友たちと距離を置いているところがある。その理由は親との関係から察せられる。父親はこの世になく、母親は聖職者と再婚している。実父はドイツ共産党の準軍事組織RFB(赤色戦線戦士同盟)の一員だった。エリックは、英雄であるその父親を心の拠り所にしている。だが、冷酷な郡学務局員がある真実を告げたとき、自分を見失った彼は暴走していく。そして、彼の運命がクルトの一家にも影響を及ぼす。

そこで筆者が思い出すのは、『アイヒマンを追え!~』の冒頭に挿入されるフリッツ・バウアー本人の映像だ。彼はカメラに向かって以下のように語っていた。

「ドイツの若い世代なら可能なはずだ。過去の歴史と真実を知っても克服できる。しかしそれは、彼らの親世代には難しいことなのだ」

その言葉は本作にも当てはまる。若者とその親たちが、切迫した状況のなかで過去と向き合い、それぞれに選択していく運命からは、「過去の克服」というテーマが鮮明に浮かび上がってくる。

大場正明

最終更新:5/16(木) 19:52
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