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柴田理恵60歳、“おばさん”の記号をあえて笑顔で背負う理由

5/16(木) 11:00配信

文春オンライン

「どんなかわいい子かと思ったら、おまえかよ」

 理恵という名前は父が付けた。「理屈に恵まれるように」という変わった願いが込められているが、これは父が彼女に弁護士になって欲しかったからだ。

「理恵って書いて、『よしえ』って読ませようとしてたみたい。『りえ』って、昔はちょっと派手な名前だったんです。学校の先生だった母は、バーの女給のような名前だって嫌がって。たみことか、明子とか、そういう名前が普通だった時代の話。『よしえ』はまだ許されるムードだったらしいんですけど、母の同僚たちから『理科の【り】なのに、【よし】って読ませると小学校に入って苦労する。このまま【りえ】と読ませた方がいい』って言われて理恵になったと聞きました」

 この世に生を受け、期せずして華やかな名前を纏った柴田は、クラス替えのたびに「どんなかわいい子かと思ったら、おまえかよ」と落胆される羽目になる。名前から勝手に想像される容姿は確かに存在するが、なんとも忍びない話だ。余計なプレッシャーを背負いながら、柴田はどんな幼少期を過ごしたのか。

「女の子然としたものは、ほとんど着せてもらえなかったかな。お下がりは母の同僚の息子の服ばっかり。ずーっと、ズボンしか穿いたことなかった。色は青とか紺」

“私なんてブスだし、デブだし”の時代

 柴田はひとりっ子だ。両親はともに仕事で帰りが遅く、祖父が彼女の面倒を見た。祖父は家事が得意で、柴田も小学生の頃から料理を嗜んだ。真面目でおとなしく本ばかり読んでいたが、ひょんなことから中学時代に山本リンダの物まねで友達に大受けし全身に鳥肌が立つような感動を覚えた。柴田は高校入学と同時に演劇部に入る。

 柴田の著作には「私なんてブスだし、デブだし」という言葉が頻繁に出てくる。そう自認していた女子が、なぜ女優を目指したのか。歌真似が受けたなら、歌手を目指す道もあったはずだ。お笑い好きなら芸人もいい。「ブスだし、デブだし」から女優までの距離を、柴田はどう縮めたのか。

「歌がうまいとか、踊りがおどれるとかじゃなかったですもん。女の人でお笑いをやるとしたら、その頃は漫才師くらい。女性のコントグループもいないし、芸人さんなんか全然いなかった。ほら、女優さんていうのは、テレビや映画に出てる特別な人でしょ?

 だけど芝居って、そこが自由だった気がするんです。舞台にはいろんな人がいるから、私が目指してもいいんじゃないかなって。それで演劇部に入りました。入ったからにはただの部活動じゃなくて、なんでもいっぱい見たいと労働演劇協議会に入りました。入会すると2か月に一度くらい富山に来る本物のお芝居が観られたんです」

 東京で一旗揚げたかった父と、地元の歴史ある旅館に生まれながらも独立心旺盛な母は柴田の熱意に理解を示し、観劇の日は終バスで帰ってきても怒らなかった。それでは飽き足らず、柴田は唐十郎、寺山修司など東京で流行っていたアングラ演劇を専門誌で眺めては、どんなものかを夢想した。

 演劇熱が高まった柴田は、東京で芝居の勉強をすると心に決める。ならば大学に入ってしまうのが一番手っ取り早い。親には教員になるとほのめかして上京したが、退路を断つため教職課程はひとつも履修しなかった。

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最終更新:5/16(木) 13:57
文春オンライン

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