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なぜ高校生は国家に抵抗したのか?「ベルリンの壁」以前の東ドイツで起きた実話

5/16(木) 8:45配信

bizSPA!フレッシュ

国家から離れて“精神の自由度”を保てるか?

――映画の冒頭では、東ドイツの高校生が列車に乗って西ベルリンへ行き、アメリカの映画を観ます。1950年代に西側諸国のカウンターカルチャー(若者文化)が、東ドイツにも浸透していたということに驚きました。

クラウメ監督:ドイツが西と東に分かれた当初は、東ドイツ人は西ドイツにわりと自由に行き来することができたんですよ。ベルリンの壁が建設された後も、東ドイツ人は西側諸国の文化や出来事に非常に興味をもって、あらゆることを知ろうとしてたんです。国家がどれほど情報操作をしようとしても、若者は必ず抜け道を見つけ出します。どんな国家においても、“若さ”をコントロールすることは不可能なんじゃないかな(笑)。

――ということは、当時の東ドイツでは主に若者が西側に興味があったということですか? 彼らの両親や祖父母の世代は西側に対してどのような思いを抱いていたんでしょう?

クラウメ監督:西側への興味には年齢はあまり関係なかったんじゃないかな。パウルの叔父、エドガーはジャズを聴くのが好きでしたしね。国家のイデオロギーと離れて、どれだけ自由な精神をもっているか――。それが関係していたと思います。

イデオロギーを信じているわけじゃなかった

――主人公の東ドイツの高校生たちが自分たちの未来を犠牲にしてまで、国家の権威に抵抗した理由は?

クラウメ監督:ドイツ人はソ連兵を憎んでいたことが一番の理由です。当時ドイツには、ソ連、アメリカ、イギリス、フランスの兵士たちが駐屯していましたが、ソ連兵士はドイツ人たちとの交流はおろか、話すことも禁じられていたんです。アメリカ人、イギリス人、フランス人たちはドイツ市民と交流をして友情を結ぼうとしていました。なぜなら、そのほうが統治しやすいから。

 それに、戦争末期には2000万人ものソ連陸軍がドイツに来て、レイプなどの恐ろしい大罪を犯しました。もちろん、ロシア人の視点では、それは大戦中にドイツがソ連に進軍した際に引き起こした惨状に対する、“復讐”という意味もあった……。

 とにかく、ソ連による占領はドイツ人にとっては耐えられないものだったんです。ある意味、東ドイツ人にとってはスターリンの社会主義やユートピアニズムなんて、どうでもよかった。とにかく、ドイツから出て行ってほしい、出ていってくれるなら国家の形なんてどうでもよかった……多くの人がそう思っていたんです。

――東ドイツ人は必ずしも社会主義に傾倒していたわけではなかったんですね。

クラウメ監督:そうなんです。一方、西ドイツではこんなことが起こっていました。1945年にイギリス人が強制収容所を解放したとき、アルフレッド・ヒッチコックが『German Concentration Camps Factual Survey』というドキュメンタリー映画を作ろうとしました。

 彼は、強制収容所の記録や資料を集め、解放時の記録映像を編集して、西ドイツの市民に公開しようとしましたが、映画を観たイギリス政府が公開を許さなかったんです。1946年から1947年のドイツの冬は厳しく、多くのドイツ人は飢え死寸前の状態だった。そんなときにこんな映画を観せたら、ドイツ人は立ち直るどころか、集団自殺を図るかもしれない……。このヒッチコックのドキュメンタリーは完成されることなく、70年後に修復されて2014年のベルリン映画祭でプレミア上映されました。

 つまり、東と西では連合国による占領方法が全く違っていて、東ドイツ人は社会主義のイデオロギーによって厳しく支配されている反面、西ドイツ人は資本主義による経済政策によって統治されていたんです。

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最終更新:5/17(金) 2:11
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