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【平成ソフトバンク年代記】屈辱の低迷期を乗り越え福岡で築いた黄金期

5/17(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

1989年、平成元年は福岡移転初年度だった。豊富な補強資金で強化を図るも、なかなか結果が出なかったが、1999年、ようやく花開き、リーグ優勝、日本一。その後、球団名がダイエーからソフトバンクに変わったが、黄金時代は今も継続している。

南海から続いた暗黒時代。1999年には優勝&日本一

 1989年は、序盤から下位に低迷しながらも岸川勝也、藤本博史、アップショー、バナザード、山本和範らを擁するリーグ2位166本塁打の打線が豪快な打撃戦を何度も展開した。4位に終わるも後半戦だけなら29勝20敗3分。上位3チームと互角に渡り合い、台風の目となった。10月5日には0対8から逆転し、13対12での勝利も。

 田淵幸一新監督で華々しくスタートした90年は85敗と負けまくって最下位。91年は若手エース・村田勝喜が13勝、阪神からの移籍組では池田親興がストッパー転向で結果を出し、大野久が盗塁王。オリックスから古巣に戻った門田博光も話題になったが、5位。翌92年には佐々木誠が28年ぶりの首位打者&盗塁王。オリックスから移籍のブーマーが打点王、捕手の吉永幸一郎もよく打ち、打線は好調だったが、投手陣が振るわず4位で田淵監督は退任。新人の若田部健一が10勝を挙げているが、10勝目は平和台の公式戦ラストゲーム、門田の引退試合でもあった。

 福岡ドームに本拠地を移した93年は根本陸夫が監督に。観客動員は好調だったが、広い球場でホームランも増えず大苦戦。首位に28ゲーム差の最下位に終わった。

 94年は一番にFA移籍の松永浩美、“バントしない二番打者”のカズ山本(山本和範)、さらに四番には西武から移籍の秋山幸二と豪華打線。前半戦は首位にも立ったが、8月の負け越しで失速。9月に盛り返したが、2位タイのオリックス、近鉄に6毛差で4位。南海時代を含め17年ぶりに勝率5割を超えた。

 95年、満を持して王貞治監督が就任。西武から工藤公康がFAで加入した。開幕戦は大物助っ人・ミッチェルの史上初の開幕戦初打席満塁弾もあって勝利したが、最終的には5位。2年目の小久保裕紀がホームラン王となっている。96年は3年ぶりの最下位。翌97年も7月終盤まで上位にいたが、そこから貯金を吐き出し、4位。サヨナラ負け13試合、20年連続のBクラスとなった。98年は連勝、連敗が続くが、勝率5割はキープ。オリックスと同率3位で77年以来のAクラス入りとなった。

 翌99年は4月30日、根本陸夫前監督の死去を契機に快進撃。9月に入り西武に迫られたが、73年以来26年ぶり、福岡の球団としては63年の西鉄以来36年ぶりの優勝を飾った。顔面への死球で頬骨を骨折しながら出場を続けた秋山、MVPにもなった最優秀防御率の工藤と、西武から移籍した“根本チルドレン”の活躍も光った。篠原貴行、藤井将雄、吉田修司らからペドラザにつなぐ勝利の方程式が確立したことも大きく、篠原はリリーフながら14連勝(優勝決定後1敗)。日本シリーズは初戦の工藤の好投もあって4勝1敗と中日を圧倒し、日本一に輝いた。

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最終更新:5/17(金) 11:05
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