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呂明賜 デビューから9試合で7本塁打の“ルー台風”/プロ野球1980年代の名選手

5/17(金) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

すさまじい勢いで列島を縦断したが……

 現地での読み「ルー・ミンスー」にちなんで呼ばれた“ルー台風”は、急激に発達して勢力を拡大、猛スピードで列島を縦断していった。デビューから9試合で7本塁打の固め打ち。87年に来日したヤクルトのホーナーが巻き起こした旋風に匹敵するフィーバーとなり、“アジアの大砲”の呼び名も定着した。

 なかなか闘志が前面に出てこないと言われる巨人ナインにあって、全力プレーも魅力。7月17日の大洋戦(横浜)では四番にも座った。終盤は内角攻めに苦しめられたが、最終的には79試合で16本塁打。さらなる活躍を期待され、オフには背番号も12番に変更された。だが、そのオフのキャンプで取り組んだフォーム改造で運命が暗転。猛威を振るった“ルー台風”は急速に衰えていった。

 翌89年のオープン戦は本塁打ゼロに終わり、4月12日の阪神戦(甲子園)でシーズン初本塁打を放ったときには、

「昔のフォームで打てたみたいだ。少しずつ思い出して頑張りたい」

 と語ったが、開幕前に故障離脱していたガリクソンが復帰すると、5月4日に二軍落ち。プロ野球で初めてシーズン打率4割をうかがうクロマティの絶好調もあって、そのまま“第3の外国人”が定位置になってしまう。

 その後も二軍では活躍を続けたものの、一軍での出場機会には恵まれず、91年オフに退団して帰国。台湾球界へ復帰すると打棒も復活して、リーグの中心打者として活躍を続けた。その後は指導者の道へ進み、2013年には台湾チームの監督として侍ジャパンとの強化試合を戦っている。

写真=BBM

週刊ベースボール

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最終更新:5/17(金) 16:25
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