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ピコ太郎やオリラジの音楽は「笑えるから不真面目」と言い切れるのか。『コミックソングがJ-POPを作った』著者によるセルフライナーノーツ|矢野利裕

5/17(金) 12:11配信

FINDERS

(FINDERS編集部より)思わず笑ってしまう、そして口ずさみたくなる歌詞や、キレのあるパロディや風刺、宴会芸としてマネしたくなる格好、振り付けなどが魅力的な「コミックソング(欧米では「ノベルティソング」と呼ばれる)」の数々。古くはザ・ドリフターズ「いい湯だな」、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」、もう少し年代が近くなると、はっぱ隊「YATTA」、岡崎体育「MUSIC VIDEO」などなど枚挙にいとまがないですが、こうした音楽たちはユーモアにあふれる一方、「本格派」な音楽と比べてどこか一段低くみられている節があります。

そうしたコミックソングたちは「二流の音楽」ではない、明確な魅力があり、かつそれまでなかった新しい音楽ジャンルをお茶の間にも広めるにあたって節目節目で重要な役割を果たしてきたのではないか、と指摘するのが、4月24日に発売された矢野利裕さんの新著『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』(ele-king books)です。

明治時代に流行した「オッペケペー節」からピコ太郎「PPAP」まで、100年以上にわたる、あまりまとまったかたちで振り返られることのなかった日本コミックソングの歴史をいま考えることがなぜ重要なのか。以下、その魅力を著者に直接紹介してもらいました。

「音楽について書く」とはどういうことか

いま、音楽はどのように聴かれているのでしょうか。定額配信サービスの隆盛によって、かつてのようにCDが買われなくなったと聞きます。YouTubeでMVをチェックすることが多いという人もいます。そのような反動からか、一方ではモノとしてのレコードやカセットテープの存在感が増してもいます。10年くらいまえ、坂本龍一さんが自身のラジオで、「これからは音楽がどんどんデータ化される。モノとしての魅力が大きいレコードは残りそうだが、CDはメディアとして中途半端だから厳しいのではないか」といったことを予想していましたが、そのような状況に近いのかもしれません。

そんな音楽をめぐる状況が日に日に変化しているさなか、音楽について書くというのはどういうことなのでしょうか。ポピュラー音楽を取り巻く状況や環境を書くことでしょうか。楽曲構造を分析的に書くことでしょうか。あるいは、アーティストの考えていることを掘り下げることでしょうか。個々の音楽の影響関係を取り出すことでしょうか。どのアプローチもそれぞれに必要だと思いますし、それぞれの領域で意義深い成果があります。

しかし、僕は次のように考えがちなところがあります――すなわち、どんな人においてもどんな状況においても、いつだって音楽は歌われ、演奏され、踊られるのだ、と。歴史的に見ても、あらゆる地域において、それこそ文化の誕生とともに音楽がありました。宗教儀式、口承芸能、レコード、CD、ストリーミング……。発現のしかたはさまざまなれど、歌い、踊るといういとなみ自体は変わりません。現在のわたしたちも、その延長で音楽の喜びに触れているのだと思います。だとすれば、そのようにあらゆる状況のなかで奏でられる音楽の喜びをどのように言葉にできるのでしょう。

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最終更新:5/17(金) 12:11
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