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上皇さまを絶句させた「雅子新皇后」言行録

5/17(金) 5:58配信

デイリー新潮

 4日の一般参賀では鶸色(ひわいろ)のドレスをお召しになり、新天皇のお隣で破顔なさっていた雅子皇后。6回のお出ましを無事務められ、今後はいよいよ「ご公務デビュー」となるのだが、思えばこれまでの道のりは、およそ平坦とは言い難かった。

 ベテラン皇室記者が振り返る。

「愛子さまがお生まれになったのは2001年12月。束の間、緊張から解き放たれた雅子さまは、翌年の4月の会見では涙ながらに『生まれてきてありがとう』と仰っていました」

 が、03年冬には帯状疱疹を発症。その後静養に入られ、翌年には「適応障害」との診断がなされた。現在もなお長期療養が続き、今後のご公務もご体調をみながら取り組んでいかれることになる。

「ご成婚以降、雅子さまはしばしば、ご実家である小和田家との“距離の近さ”が取り沙汰されてきました。時に正田家と比較され、また実際に帯状疱疹のご静養中は、軽井沢にある小和田家の別荘で過ごされ、そこに皇太子さま(当時)=以下同=がお見舞いに行かれていたのです」(同)

 ハーバード大を出られて外務省に入られた御身にとって、皇室がまるで異質の環境だったことは想像に難くない。何しろ、常にお世継ぎを求められる重圧から、

「95年に陛下(当時)=以下同=が『国民はみな、あなたたちのお世継ぎを期待していますよ』とお声をかけられたことがありました。ご懐妊の兆しの見えない雅子さまを陛下が慮って仰ったのですが、これに雅子さまは『私の周りで、そんなことを言う人は誰もいません』と言い放たれ、陛下は大いに驚かれていました」(宮内庁関係者)

 その後、長期療養に入る直前の04年5月には、皇太子さまのいわゆる「人格否定発言」によって、世は騒然となった。

「ご発言の真意を測りかねた東宮大夫がご夫妻にお電話し、ご説明をお願い申し上げました。雅子さまはこれにいたく反発され『それなら私は皇太子妃を辞めます』と電話口で叫び、切ってしまわれた。そして、お傍にいらっしゃった皇太子さまに向かって『はっきり申し上げておきましたよ』と口にされたのです」(同)

 宮内庁をはじめとする周囲へのご不信がピークに達していたのかもしれない。ほどなく、激しいご心情を露わにされた肉声も漏れてきた。

〈公務に出られない理由を病気にしているのは宮内庁です。私は病気ではありません〉――。

 先の関係者が続けて、

「雅子さまはご静養に入られてからしばらく、東宮女官に対して強い不信感を持っておられました。お振舞いなどについて彼女らが言い触らし、それがメディアの知るところとなって報じられ、皇室内での確執へと繋がっていると思い込まれていたふしがありました」

 実際に“宮内庁は守ってくれない”との思いに囚われていた雅子皇后は、

「当時、お心を許されていたのは皇太子さまとご実家だけという状況でした。そこでご実家の家族からも『今を耐えれば、ゆくゆくは皇后になる時代が来るのですから』といった趣旨の励ましを受けていたというのです」(同)

 まさしくその御代が到来したわけだが、令和においては、その“励まし”はいかがなるのだろうか。

「週刊新潮」2019年5月16日号 掲載

新潮社

最終更新:5/17(金) 16:10
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