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山本昌広 球史に残す左の鉄腕が礎を築いた時代とは?/プロ野球1980年代の名選手

5/18(土) 11:04配信

週刊ベースボールONLINE

“宝刀”スクリューを習得した瞬間

 無名の投手どころか、スパグニョーロは内野手。キャッチボールで変化球を投げて遊んでいるのを見て、握りを教えてもらい、試合で投げてみたら、面白いように打者のバットが空を切った。そして8月下旬に帰国。首位を走る中日に合流する。

 その後は8試合に登板して防御率0.55、プロ初勝利を含む無傷の5連勝。シーズン終盤ではあったが、中日6年ぶり、星野監督には初めてとなる優勝に貢献。たびたび生原からは電話があり、アドバイスを送ってくれたという。そして、勝った後は必ず、生原へ電話をかけた。

 翌89年は9勝にとどまり、ふたたびフロリダへ。このときは生原が自ら捕手を務めて、スローカーブも教わった。なかなか曲がらなかったが、生原には「3年かかるかもしれないけど、絶対、曲がるから」と言われる。そして実際、そのスローカーブが武器になったのは、3年後のことだった。

 その後も球速は140キロを超えればいいほうだったが、それを快速球に見せる、堂々としたワインドアップからの投球フォームとキレ、さらにはスクリューとカーブ。この投球スタイルは最後まで一貫していた。全盛期は90年代に入ってからだが、そのスタイルが確立されたのは80年代。球史に残る左の鉄腕が、その礎を築いた時代だった。

写真=BBM

週刊ベースボール

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最終更新:5/18(土) 11:04
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