ここから本文です

【平成ヤクルト年代記】人気優先の燕を強豪に変えた「野村ID野球」

5/18(土) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

1989年まで指揮を執った関根潤三監督の下、若い選手たちがアイドルのような人気を誇ったチームだった。そこで90年から監督となったのが、ボヤキの知将・野村克也。しかし、“ID野球”は彼らの明るさを消すことなく、したたかさを植え付けた。野村監督退任後、優勝の頻度は落ちたが、個性が光るチームカラーは大きく変わらない。

1990年代に4度のリーグV、3度の日本一

 1989年、平成元年のツバメたちは、主力選手がド派手な三振ショーを演じた。池山隆寛が141、パリッシュが129、広沢克己は125三振で、これが5年連続100三振以上。来日1年目のパリッシュは42本塁打でホームラン王を獲得するなど、それぞれ長打はあったが、これでは戦いは安定せず、4位。投手陣では内藤尚行が12勝8セーブとブレーク。笘篠賢治は32盗塁で新人王となっている。

 野村克也新監督となった90年は広沢、池山、角富士夫がいずれもプロ初の打率3割。新人捕手・古田敦也がゴールデン・グラブ賞。2年目の川崎憲次郎の12勝を筆頭に新人・西村龍次、内藤、宮本賢治が10勝。巨人戦7勝19敗が響き5位ながら手ごたえはあった。

 91年は前半戦の台風の目になる。6月9日から12連勝で、首位にも立った。8月に7連敗、9月に6連敗もあったが、11年ぶりAクラスの3位。盗塁阻止率.578が光った古田は、中日・落合博満を4毛上回り首位打者に。投手は西村が15勝、川崎が14勝で軸に。

 92年は「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせる」という野村監督就任時の言葉どおりの戦いとなった。前半戦は首位巨人に僅差で3位。その後、首位に立ったが、9月5日から1分けはさむ9連敗で首位阪神に3.5差をつけられた。しかしここから這い上がり、10月6日からの阪神との神宮2連戦は岡林洋一の完封と1対3からの逆転で連勝し、10日、敵地甲子園で優勝を決めた。ハウエルが首位打者&本塁打王、飯田哲也の27回連続盗塁成功もあった。日本シリーズは初戦、杉浦亨の代打満塁サヨナラ本塁打、3試合完投(1勝2敗)の岡林の力投はあったが、西武に及ばず。

 続く93年は5月中旬に5位と出遅れたが、新人・伊藤智仁の快投が押し上げた。故障もあって7月4日が最後のマウンドとなったが、7勝2敗、防御率0.91で新人王。その後、中日とのデッドヒートになったが、9月28日からの破竹の11連勝で振り切った。ハウエルは2カ月で5本のサヨナラ本塁打の勝負強さを見せ、広沢が打点王、3年連続打率3割の古田がMVPに輝く。日本シリーズは西武を今度は4勝3敗で制した。

 翌94年はペナントの大本命と言われるも4位、古田が右手人差し指骨折で長期離脱、ほかにも主力も故障者が相次ぎ、野戦病院のようだった。広沢、ハウエルが巨人へ移籍した95年は、阪神から移籍のオマリーが打ちまくり、テスト入団したブロスが最優秀防御率、近鉄から移籍の吉井理人も2ケタ勝利と新戦力が活躍し、優勝。日本シリーズではイチローを擁するオリックスを下し、日本一に。96年は投手陣の故障もあって連覇はならず、4位に終わった。

1/2ページ

最終更新:5/18(土) 12:01
週刊ベースボールONLINE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊ベースボールONLINE

株式会社ベースボール・マガジン社

野球専門誌『週刊ベースボール』でしか読めない人気連載をはじめ、プロ野球ファン必見のコンテンツをご覧いただけます。

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事