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コンコルドはなぜかくも厄介な旅客機だったのか? ― 超音速飛行をめぐる波瀾万丈の物語

5/18(土) 21:10配信

エスクァイア

 この野望を後押ししたのが、ナショナリズムだったのです。

 「コンコルドがつくられたのには、政治的な理由が大きかったのです」と語るのは、スミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館で航空部門の部長を務めるボブ・ヴァンダーリンデン氏。コンコルドというのは、ヨーロッパがアメリカを凌駕するためのひとつの手段だったわけです。アメリカは1950年代にもっと小型のSSTをつくろうとして失敗していたものの、商業機の市場では依然としてアメリカの支配が続いていたのが事実です。

 しかし、イギリスの航空専門家はすぐに、このような飛行機の製造には莫大なコストがかかることに気がつきます。そこでイギリスは、協力者を捜すことにしました。『コンコルド ー 超音速旅客機の栄光と挫折』の著者であるジョナサン・グランシー氏は、「イギリス政府としては、製造にかかるコストをよその国と分け合いたかった」と言っています。まずはアメリカへ協力を依頼します。ですがそれに失敗し、そのあと白羽の矢が立ったのがフランスだったのです。1962年、両国は英仏コンコルド協定に調印し、航空機の世界を最終的にヨーロッパの独擅場にするような新型機を共同開発することにしたのでした。

 「(イギリスとフランスには)政治と国の威信がかかっていました」と、ヴァンダーリンデン氏は言います。

 そして、「コンコルドは市場向けの飛行機を製造するというより、自分たちがーアメリカ以上ではないかもしれないけどーアメリカと同じくらい優れていることを示すための手段だったわけです。イギリスとフランスは国の威信をかけて、なんとしてでもそれを見せつけなければならなかったのです」と加えて語ってくれました。

 「concorde(コンコルド)とはローマ神話の女神Concordia(コンコルディア)に由来していて、フランス語で「調和」「協調」を意味する言葉です。この名称は2国で共同開発する航空機にはうってつけのものだったわけです。

 その製造を託された航空業界の巨人2社、フランスのアエロスパシアル(のちのエアバス)とイギリスのブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーションは、この困難な問題に立ち向かいました。「彼らがやらなければならなかったのは、飛行機をほとんどーから発明し直すようなことでした。そして、それを見事にやってのけたのです」と、ヴァンダーリンデン氏は『ポピュラーメカニクス』誌に語っています。


 スピード自体は問題ではありませんでした。1960年初頭には、音速を超えるスピードでの飛行というのは、戦闘機の世界ではすでに画期的なことではなく、当たり前になっていたのです。しかしながら、高い料金を支払った乗客を100人乗せた定期便でこのスピードを出すとなると、また話は違ってきます。

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最終更新:5/18(土) 21:10
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