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【懐かしの助っ人】黄金時代の西武で輝いた優良外国人打者のすごさとは?/伊原春樹コラム

5/19(日) 10:59配信

週刊ベースボールONLINE

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。4月号では懐かしの助っ人に関してつづってもらった。

連覇に貢献したスティーブ、テリー

 クラウン時代の1978年、中日から移籍してきたのがウィリー・デービスだった。メジャーでは主にドジャースでプレーし、通算18年で2561安打、398盗塁をマーク。“クロヒョウ”の異名を取り、スピードが売りだった。77年中日入り。37歳だったが、巨人戦でランニング満塁弾を放つなど、脚力は健在だった。中日では打率.306、72試合の出場ながら25本塁打を放ったが、首脳陣とトラブルを起こすなど素行面に問題があり、クラウンへやってきた。クラウンでは127試合に出場し、打率.293、18本塁打をマークした。

 西武時代の80年にはテーラー・ダンカンという外国人選手がいた。メジャーでは通算2年で112試合に出場したのみ。私と同じ三塁手で、自分のほうがいいプレーをするなと感じていたが、外国人ということもあり、ダンカンのほうが積極的に起用された。前期、14本塁打を放ったが、打率.235と確実性がなく、拙守も連発していたから前期だけで解雇されてしまった。

 後期からチームの一員となったのがスティーブ・オンティべロスだ。左右両打席から広角に打ち分けるシュアなバッティングがとにかく絶品だった。選球眼にも優れ、来日6年で打率3割を5度マーク。83年、84年には最高出塁率のタイトルも獲得した。

 そのスティーブとともに82、83年の連続日本一に貢献してくれたのがテリー・ウィットフィールドだ。81年に来日すると、いきなり打率.316、100打点をマーク。とにかく勝負強いバッターで82年、日本ハムとのプレーオフ第4戦(後楽園)では5回に特大の逆転満塁本塁打。そして83年、巨人との日本シリーズ第7戦(西武球場)では2点ビハインドの7回無死満塁で、西本聖から左中間へ走者一掃の逆転二塁打を放ち、“打倒・巨人”の立役者となった。スティーブもテリーも本当に気のいい奴で、何事にも一生懸命な選手だった。

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最終更新:5/19(日) 15:39
週刊ベースボールONLINE

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