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【阪急の“ピンストライプ”が復活】元南海・江本孟紀が語る“阪急の強さ”

5/20(月) 10:59配信

週刊ベースボールONLINE

山田久志と投げ合い、認められた

  王貞治、長嶋茂雄の「ON」が君臨する巨人は、1965年(昭和40年)から73年(同48年)にかけて、9年連続の日本一を達成している。

 その「V9時代」に、日本シリーズの舞台で、阪急が巨人に挑んだのは計5度。しかし、闘将・西本幸雄率いる阪急は、王者のカベを一度もぶち破れなかった。

 そうした悔しい歴史があるとはいえ、当時の阪急はまさしく「黄金期」を迎えていた。5月28~30日のソフトバンク戦(京セラドーム)で、オリックスの選手たちが着用する、アイボリー地に黒の縦じま、胸に「Braves」のロゴが入ったユニホームは、1970、71年(昭和45、46年)のホーム用。67年(同42年)からはリーグ3連覇、さらに71、72年とリーグ連覇を果たしている。

 その「強き勇者」の象徴ともいえる存在だったのが、エース・山田久志であり、世界の盗塁王・福本豊であり、勝負強い四番・長池徳二(現・徳士)だった。阪急の屋台骨を支えていた強力なこの3人に、ライバルとして立ち向かっていったのが、今回の対戦相手・ソフトバンクの前身、南海のエースだった右腕・江本孟紀だ。

「俺はねえ、山田と投げ合ったことで、認められたんだよ」

 1947年(昭和22年)生まれの江本は、山田より1歳年上。ドラフト外で71年(同46年)に東映入りすると、翌72年に南海へ移籍。その年の4月9日の開幕戦は阪急とダブルヘッダー。その2戦目が、江本と山田の投げ合いだった。

 71年、山田は2.37で最優秀防御率のタイトルを獲得。22勝を挙げたサブマリンは、それこそ敵なし。

「その年の山田、絶好調。こちらは無名の江本。江本って、誰やってところだよ」

 その2人の投げ合いは、スコアレスのまま延長12回にもつれこみ「一死満塁から、カーブが曲がらなくて死球。それで負けたんだ」。江本の記憶が鮮明なのは、試合後、当時の野村克也監督が、帰路についたバスの車中で突如マイクを握り「ええか、お前ら、江本に借りがあるからな」と選手たちに説教までしたからだ。

 江本はその年に16勝。山田との投げ合いが、飛躍へのステップとなったのだ。

「あのとき、DH制じゃなかったから、俺も2回バントしたんやけど、かすらんかった。下手投げで、あんな下から球が上がってきて、しかもあんな速い投手はおらんで」

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最終更新:5/20(月) 12:05
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