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パリのノートルダム大聖堂の現在と過去と未来

5/21(火) 12:01配信

現代ビジネス

崩落する尖塔

 最初はツイッター上に流れてきた映像でした、日本時間の2019年4月16日未明。夜中に目が覚めてしまい、何とはなしに、スマートフォンを開いたとき、崩落する尖塔の映像が目に飛び込んで来たのです。

 すぐにパソコンを立ち上げ、フランスのニュースサイトを追いました。失火か放火かもわからず、ノートルダム大聖堂が炎上してゆく光景から目が離せないまま、おろおろしていたというのが偽らざるところです。

 2019年4月15日18時50分頃(現地時間)、パリのノートルダム大聖堂(la Cathédrale Notre-Dame de Paris)の中央にある高さ90メートルの尖塔付近から出火し、木造建築部分はまたたく間に炎に包まれました。

 カトリックでもなく、またパリに常住しているわけではない私にとっても、ノートルダム大聖堂は特別の場所でした。昔、初めてパリに旅したとき、まず向かったのはノートルダム大聖堂でしたし、その後もパリへ行くたびに必ずそこを訪れました。パリのノートルダム大聖堂にはたしかに、異教徒たる私の魂をも慰藉し浄化する力がありました。

「聖母マリア」の名を冠する

 「ノートルダム」とは「聖母マリア」の意味で、そこにはキリスト教以前の大地母神信仰も混じり合っていると言われます。信仰の拠りどころ、というだけでなく、何らかの宗教意識の源泉がそこにはあったと言ってもいいと思います。

 火災以降、フランスでベストセラーになったヴィクトル・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』(1831)には、ノートルダム大聖堂の類い稀な荘厳さと、建物がいかに破壊されたかがまるごと1章を費やして書かれています。

 森有正や高村光太郎をはじめ、ノートルダム大聖堂に感動し、それを書きつけた人々は数え切れません。20世紀を代表するカトリック詩人・劇作家ポール・クローデルが、1896年のクリスマスに天啓を受け、カトリックに改宗したのもノートルダム大聖堂においてでした(その場所を記念する床の銘板は火災でどうなったでしょうか)。

 ここまで「大聖堂」と訳してきたcathédraleですが、本来、司教区か大司教区を司る司教ないし大司教の座る椅子を備えた「司教座聖堂」を指します。ただし、日本語では「寺院」「聖母堂」などと訳されることもあります。

 ノートルダム大聖堂はパリ大司教区の中心となる聖堂で、最初は司教区の聖堂でしたが、パリがルイ13世の治下、1622年に大司教区のサンスから独立して大司教区に昇格したのにともない、名実ともにフランスのカトリック信仰の中心たる聖堂となりました。

 パリのノートルダム大聖堂前の広場には、ひとつの重要な印があります。パリからの距離を測るときの基点、ゼロポイントです。パリはもともとノートルダム大聖堂のあるシテ島から始まりました。

 精神的な面だけではなく地理的に見てもパリの中心であり、フランスの中心であるノートルダム大聖堂の火災は、それだけに人々にショックを与えました。

 鎮火の様子を祈りながら見つめていた人々は自然に聖母マリアへの讃歌「アヴェ・マリア」を口ずさんだと伝えられましたが、それも納得がいきます。今でいう観光名所の最たるものでありながら、それに留まらない精神的世界を人々に感じさせる祈りと瞑想の聖域。それがノートルダム大聖堂だったのです。

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最終更新:5/21(火) 12:01
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