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プロ野球史上、最も打率4割に近付いたクロマティの平成元年シーズンとは?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

5/22(水) 11:01配信

週刊ベースボールONLINE

バリバリのメジャー・リーガー

 ついに令和元年が始まったが、30年前の平成元年の日本では1円玉不足が話題だった。

 1989年4月1日から3パーセントの消費税が導入されたのである。当時のプロ野球もほとんどのチームで入場料の値上げを決断。慣れない制度に頭を悩ませた日本ハムはA席3296円、B席2678円、C席1854円と3パーセント分だけ上乗せした細かい料金設定で、確かに1円玉不足も頷ける。そして、同じ東京ドームを本拠地としていた巨人はA席4200円、B席3100円、C席2100円と強気の値段設定。S席の4700円は全球団のホーム球場と比較しても最も高額なチケットだったが、それでも連日超満員。昭和の価値観が色濃く残る平成が始まったばかりの球界において、巨人はまだ圧倒的な人気と集客力を誇っていた。

 ほぼ全試合が地上波テレビのゴールデンタイムで生中継され、そのど真ん中で主役を張ったのが、ウォーレン・クロマティである。MLBのエクスポズの9年間で通算1063安打を放ち、勝負強い中距離打者として評価されたクロウは、83年オフにFAでサンフランシスコ・ジャイアンツへの移籍が翌日には正式発表という段階まで来ていた。しかし、当時30歳になったばかりの現役バリバリの大リーガーが予想外の行動に出る。なんと、年俸を値切られたことに腹を立て直前ですべてをキャンセルし、日本のトーキョー・ジャイアンツと3年180万ドル(約4億2480万円)の大型契約を結んだのである。

「日本行きは、何か他のものにチャレンジしたかったんだ。伝説的な存在の王さんが監督になって、オレが欲しいと言っているそうだ。それなら、という気になった」とのちにクロウは明かしたが、王貞治の監督1年目であり、球団創立50周年を飾る大物助っ人として来日する。

『週刊ベースボール』84年7月9日号では小林繁の直撃インタビューを受け、日本選手のヘビースモーカーぶりにカルチャーギャップを受けつつも、同僚の中畑清の明るさを「セントラル・リーグのホットドッグ」と褒め、不振に喘ぐ原辰徳には「タツはもっと自信を持って、リラックスした方がいいよ」なんてアドバイスを送り、他のチームメートともトモダチになりたいと笑う。さらに将来のビジョンについて、こんな言葉を残している。

「プロのドラマーになりたいと思っているんだ。ボクはね、日本であと3年やって、33歳くらいで野球をやめたいんだ」

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最終更新:5/22(水) 11:32
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