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山倉和博 “意外性の男”リードの極意とは?/プロ野球1980年代の名選手

5/22(水) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

87年にはMVPにも

 王監督の初優勝となった87年には22本塁打、66打点、打率.273とキャリアハイの数字を残すなど、バットでも活躍。もちろんリードでも貢献して、巨人の捕手としては初めて、2リーグ制となってからは野村、中日の中尾孝義に続く3人目のMVPに輝いた。

 だが、翌88年には右大腿二頭筋の肉離れに背筋痛と故障が続き、リードの勘も鈍ってくる。近鉄から移籍してきていた有田修三に加え、89年には中尾も加入し、出場機会を減らしていった。それでも、ラストイヤーの90年には控えながらもファン投票1位で球宴にも出場。

「救援に胴上げしながら運んでもらったよう。一生、忘れません」

 投手たちの球を受け続けた左手は神経痛で麻痺。右手の指はファウルチップで骨折、脱臼、打撲を繰り返したことで完全に変形していて、そのうずき具合で翌日の天気を正確に当てられるようになったという。のちに、自著に「キャッチャーになんてなるんじゃなかった!」とタイトルをつけたが、これは同時に、キャッチャーをまっとうしたからこその言葉でもある。

写真=BBM

週刊ベースボール

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最終更新:5/22(水) 16:25
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